普段雪のあまり降らない大都市で、大雪が降ると都市機能がマヒする。
雪が積もらない前提で、都市が作られているためである。
都市というのは、エネルギー効率よく、スピーディーに、多くの人が動き回れるという事を、最優先に考えられて作られている。
このため、何か不測の事態が発生した場合の余裕を計算に入れると、コスト高になるために、不測の事態は無いという事にして設計されている。
つまり、効率が優先されているために、人員も時間設定も、隙間なく設計がなされている。
何事も無ければ、非常にスピーディーに循環するが、ひとつでも何かトラブルがあると、途端に機能停止におちいってしまう。
都市で生活している人も、大雪が降る設定では計画を立てていないので、急に大雪が降ると目標行動が完遂できない。
このため、スキマなく働いていて、緻密な計画で動いている忙しい人ほど、大雪を喜べない。
大雪を喜べるのは、ヒマ人である。
つまり、雪を見慣れていないので、大雪が降って楽しいと思えるのは、犬や子供、心に余裕がある人たちである。
特に雪道を歩き慣れない歩行者の転倒事故が相次ぎ、問題視されている。
歩行には、体重移動をし続けるバランス能力と、接地面と足裏との適度な摩擦によって生まれる、前に進むための推進力が必要となる。
雪道で転倒しやすいのは、路面が濡れていると、路面と足裏との間に水が出来ることで、滑りやすくなり、滑ることによって重心のバランスを崩すからである。だから、雨の日も滑って転びやすい。
なので、外気温が低すぎると、足裏と接地面との間に出来た水が即座に凍るので、逆に滑らない。
雪道で転倒して大ケガをしないためには、多少のケガをして転倒するという、失敗の経験を積む必要がある。
転ぶのを我慢して、筋肉を傷め、回復に時間がかかることがある。
こんな時は、逆に思い切り滑って転んで、上手に受け身をとった方が、大ケガを避けることが出来る。
転倒して問題なのは、大けがをすることである。
滑って転んでも大ケガをしなければ問題ではない。
しかし、多くの人が、スベること自体が恥ずかしいと思っている。
つまり、転ぶ事を笑える人と笑えない人がいる。
心に余裕がある人は、笑いの許容範囲が広いため、転倒が面白いと思える。
お笑い芸人は、転倒も芸にしており、間がいいと大爆笑をさらう。
お笑いの世界では、ウケないことをスベるという。
誰の心にも引っかからないということである。
客と芸人の間の心の歯車がかみ合わず、心どうしがスベって芸人の心が空回りしている。
ターゲットとする客層にウケない場合、そのお笑いは不正解とみなされる。
現代社会では、インスタントな笑いが主流である。
みな忙しく時間が詰まっているので、少ない空き時間に、すぐに笑わせて欲しいという人が多い。
「短時間で素早く笑わせてくれる、スベらないはなしが正解」の世の中である。
人は目標にたどり着くために急いでいる時、心に余裕がなくなる。
物事は、何を目的とするかで、正解は変わる。
目標を絞れば絞るほど正解は一つしかなくなり、それ以外の結果は全て不正解とみなされる。
正解の幅を狭めた上に、短時間で解決しようとすると、たくさんの解決策があっても、それを試す事が出来ず、道が閉ざされ、選択肢が減り、心の自由度が下がる。
人類は、物凄く多種多様な性質を持って問題解決することによって、全体として進化してきた。
しかし、受験システムを信仰する風潮が、子供たちの持つ無限の可能性をつぶし、生きる意欲を失わせている。
受験の正解は、
短時間に効率よく、たくさん解けることが正解である。
あらかじめ決められた一つの正解を出すことが正解である。
少ない枠に、自分だけが入学出来ることが正解である。
「自分のみが得をする」ことが正解の人にとっては、自分が得をしなければ、全て不正解である。
自分だけが得をすることを目的とした人間は、人を好きになる事を避ける。
好きな人ができると、好きな人にも得をして欲しいので、自分だけが得をする事が出来ないからだ。
人を愛することにブレーキをかける人間が出来上がる。
多くの親たちが、子どもに失敗をさせずに人生を歩ませたいと考えているように見受けられる。
しかし、失敗しない者などいない。
すり傷や切り傷などの小さいケガをたくさんこさえて、遊びの経験を積むことで、大ケガをしない方法を学ぶことが出来る。
前に踏み出す推進力を生むには、失敗を恐れない経験とエネルギーを必要とする。
人を好きになる事がエネルギーを生み出す。
スベったことを、キャッキャ言いながら、笑い合える温かい関係が出来ると、冷え切って凍結した人と人との間に、雪解けが起きる。
そうして、春が訪れると、生命は力強く芽吹く。
スベって転んだことを楽しもう、人間だもの。