「幸せ」「不幸」「嬉しい」「悲しい」など喜怒哀楽、感情を表す言葉は、身体感覚を表現した言葉であり、実体として存在するものではなく、「状態」を表している。

 

疲れが「たまる」とか、疲れが「とれない」とよく言う。

しかし、「疲れ」は蓄積したり、くっついたりする「もの」ではなく、これも「状態」である。

疲れとは、「エネルギーを消費した時」の身体の感覚を表す言葉である。

 

我々は、自らが動く事によって発電し、次に動く力を作り出している。

つまり、動きながら発電して動くという循環を繰り返して、生命活動を維持し続けている。

 

疲れて動けない状態とは、エネルギーを消費し完全燃焼した時、燃料が尽きて動きが止まり、電流が流れなくなり、筋肉に向かう「神経回路の電圧が一瞬ゼロ」になることである。

つまり、「神経回路の電気の動きが止まった」状態であり、「電気がゼロ」になったわけではない。

生きている以上、人体は常に帯電している。

 

糖を摂取してすぐに運動エネルギーに代謝することで、完全燃焼することが出来る。

脂肪を燃焼させるには、様々な過程を経て燃やさないとエネルギーにならず、肝臓などに負担が多く、効率よく運動エネルギーに変換されない。つまり、脂肪太りの人は、走ったりする時にゼエゼエして走りにくい。

 

この様な不完全燃焼を続けている状態が、慢性疲労という感覚である。

不完全燃焼を続けていると、糖が脂肪として蓄積し、今度、急にこの脂肪を燃やして動こうとすると、脂肪燃焼の過程で出来る、自己の内部で発生した中毒物質により、息切れや嘔吐などが起きる。

この状態では、次に動く気力が出ない。

 

人は、完全燃焼して心地よい疲労が生じる時、心が満たされたと感じる。

 

次への運動エネルギーに変えるために発電するには、完全燃焼して、いったん完全に「疲れ切った」状態にならなければならない。

 

緊張が緩和した時に笑いが起こるという、有名な落語家の言葉がある。

息を飲み込んで呼吸が浅い状態から、息を深く吸い込む状態に切り替わった直後に、息を吐いて「笑う」という運動エネルギーへの変換が起こる。

 

自殺は、うつ状態から躁状態に切り替わる時に起きやすい。

自殺とは、自らを殺人することである。

自らが能動的に動かなければ、殺人など簡単に出来るものではない。

死にたいと思っている人が、なんらかのきっかけで瞬間的に運動エネルギーに発火した時が、一番危ない。

日頃活動的で動きが身軽な人ほど、完全燃焼したときに自殺しやすい。

 

人は岐路に立たされて悩むとき、右往左往する事で、どっちに行くかを決めかねる。

この大脳の神経回路に電気が「行ったり来たり」する事で、実はエネルギーが生まれている。

 

本当にやり切ったと思った時、エネルギーがゼロになる。

 

人は、やってもやっても、やり残したことがあるので、生きたいと思えるのだ。