愛する者を苦しみから救いたいが、自分一人の力ではどうしようもない時、人は祈る。

 

普段、気に食わないと思っていた人でも、病気をしたりすると心配になり、実は自分にとってかけがえのない存在だったと気づく事がある。

子供が母親を振り向かせたくて、心配をかけるようなことをする事は、よくある。

わざとする事もあるが、無意識にやっている場合もある。

 

人は心配な時、居ても立っても居られなくて、ウロウロする。

これを儀式化したのが、お百度参りである。

足を使って、行ったり来たりすることで、エネルギーを消費し、脳を活性化させて、気を紛らわせている。

ものを考える時、貧乏ゆすりをするのは、足を動かすことで脳を活性化しているからだ。

 

人類が裸足だった頃、足裏から大地を感じていた。

前足が手に進化し、手と手を合わせることで、大地や生命とのつながりを感じるようになった。

手をつないで仲の良さを確かめ合ったり、お医者さんは、手当てをすることで患者を救う。

つまり、合掌することで、大地と手をつないでいるのだ。

 

また、祈りの儀式では、世界的に見ても、頭を下げる仕草が多い。

頭を地面に近づけることで、脳に血流がまわり、活性化する。

このことで、生きる意欲が湧いてくる。

 

祈りとは、こんなに大切な価値のある生命を、雑に扱っていた自分への気づきと反省である。

つまり、感謝であり、許しをこう事であり、困難な状況を打破するためのエネルギーでもある。

 

でもあんまり心配かけんなよ、疲れるわ。