だまされてカッーとなって人を殺めるという事件は、よくドラマに描かれる。
こういう事件を防ぐために開発されたのが、呪いの儀式ではないか。
藁人形に五寸釘を打つなどは、人目につかないように、非常に達成困難なことをさせる。
おそらく、わざと達成できないことをさせている。
多くの呪いの儀式は、相当な怒りのエネルギーが無ければ、やり抜くことは出来ないようになっていて、ほとんどの人が達成出来ないはずだ。
呪いの儀式に疲れてくると、何のためにこんな辛い事をしているのだろうと、ふと我に返る。
冷静になって、被害を受けた悔しさと、今の儀式を執り行う労力を天秤にかけはじめる。
すると、相手への憎しみの度合いがどの程度のものかが、見えてくる。
やりにくい事をすることで疲れ切ってエネルギーが発散し、怒りが収まってくる。
そうなるまでの時間稼ぎをしているのである。
また、人目にさらさないので、第三者から非難されて二重の被害を受ける可能性も減る。
だから、呪いの儀式は昇華の一種とも言える。
儀式を執り行うことで、「相手を殺したい」という自分の気持ちを呪い殺している。
その時、真に相手を許すことが出来て、呪いがとける。
呪いの儀式は平和のために発明された。