気づきが人を進化させる。

過去を後悔したり、夢を見たりすることで、神経のネットワークがつながり、気づくことで、反省したり、ひらめいたりして、人は成長する。

血管は途切れると死ぬ。

電気、電波、水道、道路などのライフラインは、生活に追われていると、つながっている事が当たり前に感じてしまうが、途切れた時、はじめてその有難さに気づく。

 

つながる事で、生命は進化し、維持されている。まさしく生命線である。

 

人は外界からの刺激によって、生を実感するので、独房に入れられると狂う。

地面から切り離された動物は、生命とのつながりを感じる時、孤独ではなく、生きていることを実感する。

 

葬式や法要では、親類縁者が皆で集まって、死者を介して、生存者同士がつながっている事を確かめあう。

葬儀をすると、普段知り得なかった、死者にゆかりのある人間に出会い、驚かされることがある。隠し子や愛人が出てきたりしてトラブルになったりもするが、予期せぬ良い出逢いもあったりする。そんな時、新たなつながりを感じる。

 

死者は死んだ直後は死骸だが、徐々に土に帰り、生命の循環に溶け込んでゆく。時が経つにつれ、先祖になり、神格化されていく。仏教では、成仏という。

ハリウッド映画の殺人マシーンが、同じ殺人マシーンを殺すときの決め台詞で、「地獄で会おうぜ」というのがある。原文ではスペイン語のあいさつだが、日本人の和訳により、ロボットは成仏できないという意味が付加されている。おそらく生成AIでは、この翻訳にはならないであろう。

日本人の心の中には、心中(しんじゅう)など、死者とあの世でまた会えるという意識が深層にある。

生と死がつながっているという認識である。

 

我々は、死者のとむらいを通して、別れの哀しみを分かち合い、それと同時に、同時代に生まれたことの喜びを祝っている。