日本の有名なメジャーリーガーが、しこをふむ事は、よく知られている。

相撲の稽古の中でも、身体の基礎を作る重要なトレーニングである。

モンゴル人力士の強さは、足を使って長距離を移動して培われた遊牧民の、足腰の筋力の強さも一因として考えられる。

プロレスラーもスクワットで、足腰を鍛える。

足が太くて短い日本人は、跳躍力にも優れている。

ダンサーやフィギュアスケーターなどで跳躍力に優れた日本人パフォーマーは多い。

足腰の安定感は、日本人の強みでもある。

 

葦(あし)などのイネ科の植物は、多くの人類を作り、生活を支えてきた。

かつては日本でも、米は食物として摂取し、葦などの他のイネ科植物は、かやぶき屋根や、かきね、雅楽の楽器などとして、生活や豊穣を願う宗教儀礼に利用してきた。

 

地に足がついているとは、土壌から、たくさんの養分を吸収し、身体や思考の土台を作ることで、現実的な判断ができることである。

養分とは、土壌から生成されるあらゆる生命である。

 

馬やゾウなどの動物を使っての移動や、車社会になる以前は、ヒトは長い年月、移動手段は「ヒトの足」しかなかった。

人類は、かつては歩いて移動することで、新天地を開拓してきた。

歩くことで、いろんな場所の多種多様な栄養素を取り込む事で、飛躍的に大脳が発達し、賢くなった。


地団太を踏むとは、怒りやくやしさ、苦悩の感情を表す言葉である。

歩いて左右の足を交互に動かすことで、リズムが生まれる。

ダンサーはステップを踏み、詩人やラッパーは韻を踏み、リズムによって、感情を表現する。

音楽は、リズムの究極の表現である。

ヒトは、足を地面にたたきつけてリズミカルに踏み鳴らすという感情表現を、大脳を使って、より高次の表現に変換し、昇華してきた。それが宗教儀礼、格闘技、芸術に発展した。

 

ヒトの「手」も元々は「足」だった。前足だった部分を、道具を作り、道具を操る「手」として、細かく器用に動かせるように進化させ、大脳が発達した。

 

以上のことから、ヒトは端的に言えば、頭で「考え」たことを「足」を使って行動に移す事で、進化してきた生き物である。

 

いわば「ヒトは考える足」である。

 

考えて手足を使って行動しない者は、ヒトではない。