好きな事で飯を食うのは至難の業である。

好きなことが分からない人も多い。

それは、好きな事をさせない社会だからである。

ほとんどの子どもは、勉強が嫌いである。

現代の日本は、嫌いなことに耐える人間が大人であるという理屈が、おおかたを占める社会である。

 

好きな事をするためには、嫌な事もしなければならない。

しかし、この自分の好きな事を抜きにして、ただただ嫌な事をすることがよしとされているきらいがある。

それにあいまって、いい大学に行くことが国民の総意のような勘違いをおこしている。

みんながみんな大学に行けばいいというものではない。

全員が嫌いなことをして、バランスがおかしくなっているから、適材適所がかなわなくなり、失業者が増えている。

 

生命世界は、みんなが好き勝手なことをすればバランスがとれるようになっている。

つまり、人間は人間らしくしていれば、自然の摂理が働き、うまくいく。

現代は、人間が人間性を失って機械になったり、退行して動物になったりして、人間性を発揮できていない個体が増えており、こういう廃人によって、人類内のバランスも崩れている。


大量生産大量消費社会は、最もエネルギー効率が悪い社会である。

いらない物を大量に生産するために膨大なエネルギーを使い、そして、そのいらない物がゴミになり、そのゴミを処分するために、また膨大な量のエネルギーを消費する。

大規模生産による効率化で生まれた余剰エネルギーを、各人に還元せず、企業が吸い上げる事で、一人一人のエネルギー効率が下がる。こうして疲弊しきった廃人を大量に生み出すことで、うつ病や過労死などが起きている。

 

今、人工知能の開発に莫大なエネルギーが注がれ、競争が繰り広げられている。

人間は機械に比べて、はるかにエネルギー効率に優れている。

人間は本来、働きたい生き物である。

人は、自分の好きな事や好きな人のために働くことで、一番効率よくエネルギーを生む。

機械にコストをかけて、1+1の計算をさせるのは効率が悪い。

機械は人間にとって代わるのではなく、人間の力を増大させ、拡張させるために使うべきである。

人間に使うべきエネルギーを奪って機械を動かして、人間に仕事をさせないのは本末転倒である。

 

仲間同士が、いろりの火で暖められた、あったかい部屋で、そのいろりの火で煮炊きした鍋をつつく。そうして、満たされた胃袋と、温まった心を糧にして、次の日に自分や好きなもののために、機械で拡張した力を使って、持てる力を思う存分発揮して働ける。

こういう社会が一番コスパがいい。