日本には、頭を下げるという風習が多く残っている。
あいさつで、お辞儀をする。他人にものを頼む時、頭を下げる。
お願いしたり、謝ったりするときの最大の行為が、土下座である。
相手より低い位置で地べたに頭をこすりつけて、自分のプライドを捨て、相手より自分は下位の者であるということをアピールする事で、相手にマウントをとらせる。こうして相手が優位だということを際立たせる事で、事を収めようとする。近頃のメディアで目にする土下座は、形骸化していて、単なるパフォーマンスでしかないが、本来の土下座は、生半可なものではない。
「実るほどこうべをたれる稲穂かな」という格言もある。
頭を下げる事で、自分はあなたを上に見ていますよという事を表す。
修行僧は托鉢ではお辞儀をしない。施した方がお辞儀をする。
「させていただく」という言葉を最近よく聞く。
自分の行いが他者のためになる事は、気分がいい。だから、「する」のではなく、「自分の気分を良くさせていただく」という意味で、「させていただく」のだろう。
このようにして日本人は、他人の力を借りたり、自分の非力を認めて争いを避けるために、、頭を下げる事を行ってきた。
それを今では、全てお金で解決する世の中になった。
価値基準を全てお金に換算させる世の中になったせいで、金のないヤツには価値がないような勘違いをしているやからが多い。
他人の力を借りることは、悪いことではなく、むしろ良い。しかし、相手を敬う気持ちがないと借りることは出来ない。金がないときは、腹では相手を敬っていなくても、頭を下げなければならない。
この頭を下げることができるのが大人と呼ばれる。
胸にプライドを秘めたまま、表面上頭を下げるのは、悔しい。かなりの苦行である。
この悔しさが人間を育てる。やがて相手を敬う気持ちが持てるようになれたとき、頭を下げる事が苦行ではなくなる。
プライドを捨てることなく頭を下げる事が出来たとき、より進化した人間になる。