大脳は不自然な事を考え付く。現実にはあり得ないことを思い描く。

それによって、新しい発想も生まれるが、いらない苦しみも増す。

これが創造の病である。

病におちいらずに創造性を働かせるには、どうしたらいいのか。

それには、現実と非現実の区別が出来るようになればよい。

 

そのためには、動くことが必ず必要になる。

我々は、動くことで立体視できるようになり、大脳を発達させてきた。

 

立体視とは、一つのモノを二つの違う角度から見て、動くことで、はじめて出来る。

右目と左目からの情報の微妙な差が、動くことにより変化する。そして、その変化をそこから計算して、どちらの目からも見えていない部分の情報を割り出している。

つまり、それぞれの目が二次元で見ている情報が動くことで、二つの二次元情報の変化を統合して、目には見えていない奥行きを計算し、三次元として把握している。

差が変化していくことで、距離を測れる。そうして見えていない部分の距離を把握して、モノの奥行きがわかる。

 

このように奥行きは、実際は目には見えていない。

同じモノが、さっきより大きく見えてきた時、それが近づいて来たと判断するのが現実的モノの見方である。

その同じモノが、だんだんと巨大化したと判断するのが、非現実的なモノの見え方である。

 

動くことをあまりせずに世界を把握しようとすると、こういった非現実的な判断をすることが起こりやすい。すなわち、現実が見えていないのである。

つまり、動かないと奥行きを見る目が養えないので、見えないものを想像する力がつかないのである。

 

しかし、動くと言っても、ルールだけにただ従って視野を狭くして、近くだけを見て、大脳を使わずに動いていたり、ひとりよがりな考えで動いていると、立体視は出来ない。

たくさんの人に揉まれて、いろいろな角度から人が近づくのをよけたり、近づいたりしながら、大脳は発達する。

 

ある問題が起こると、ただ一つの方策だけで解決しようとするような、短絡的思考によるルール作りが、世の中に横行している。

このようなことは、物事を平面的に見ていて、現実の構造を把握できていないために起こる。

 

多くの人が現実をまげて解釈しているがために、こころの病を患っている。

こういう人達には、いろんな人と接しながら動いて大脳を使い、現実世界を見れるようにするための視覚を養うリハビリが必要だ。