大量生産、大量消費社会とは、消費者にとって価値の無いモノに、こじつけの価値観を植え付けて、いらないモノを買わせる社会である。

訪問販売などの悪徳商法と、なんら手口は変わらない。

いわば、大量のゴミを出すために、一生懸命になって、無駄な努力をして働く人間を生み出す社会である。

 

人は価値あるものを手に入れた時、心が満たされる。

入手困難なモノを手に入れる事に価値が生まれる。

だから、希少価値というのは、ただ数が少ないのではなく、入手困難という意味で価値が高いことを言う。

高額なモノも、入手困難という意味で価値が高い。

入手困難なモノは、努力しないと手に入れられない。

苦労して手に入れた時、心が満たされると同時に、そのモノの価値が上がる。

先にモノに価値があるのではなく、モノの価値は後から付いてくる。

 

だから、簡単に手に入るモノには価値が無い。

苦労をせずに金の力だけで簡単に手に入れたモノは、ほぼその人にとっては価値がなく、ゴミ同様である。

簡単に富を手にした者は、金だけでは心が満たされないという事を知らないので、また金で心をうめようとして、ムダなことに金をつぎ込み、更に深みにはまり、金を失う。

 

努力とは、自分が好きなモノを手に入れて、心を満たすためにすることであり、目的ではなく、過程である。

この時、そのモノが入手困難であればあるほど、苦労すればするほど、手に入れた時、心が満たされる度合いが強く感じられる。

そして自分にとっての、そのモノの価値も上がる。

自分の苦労と、様々な条件が複雑に作用して、ようやく手に入れた瞬間の感動は、二度とは味わえない。

その価値は、自分にとって、国宝や世界遺産をはるかに上回る価値となる。

 

努力とは、自らを、こらしめるためにするものではない。

また、誰のためでもなく、自分が手に入れたいモノの価値を高めるためにするのが、努力である。

この時人は、生き生きとし、ゾーンの状態に入り、手に入れた時、心が満たされる。

 

価値は、自らが生み出すものであり、他から得られるものではない。

 

自分の価値観に妥協せず、研鑽を重ね、自分のスキルを高める努力をしてきた人は、本当の価値を知り、自らも価値の高い人間になっていく。

 

好きな事を一生懸命にやってれば、ひとかどの人になれる。