論理的思考と自身の自然部分の絶妙なバランス感覚の持ち主が、天才ではないか。

 

農業は自然の声に耳を傾けながら、人が手を加え、食べ物を効率的に量産する。

自然の声を聴くには、自然のありようを的確にとらえる論理的思考が必要となる。

この時、過去のデータの積み重ねなどから、自然の情報を得たりする。昔はコンピューターが無かったので、天赦日などの暦注が出来たのだろう。

 

いわゆる天才と呼ばれる人たちは、自身の経験量が、えげつないのではないか。

経験は自身の身体を使った行動を通して、人や自然との接触の中で、他からの情報も的確に自分の中に取り込んで得られる。膨大な経験値によって、自身の中の自然部分にも耳を傾ける能力が研ぎ澄まされるのではないか。

天才は、次のミッションを始めるタイミング、方法の決め方が絶妙なために、成功する確率が更に高まる。

この時、この成功した部分だけに接した凡人は、成し遂げた人を奇跡の人だと言って、あがめたり、逆に嫉妬したりする。

 

物事を始める時、自分の経験や他人の経験からのデータを基に行動指針を決める。

特に未知のことほど、予想と違うことへの不安があり、なかなか一歩が踏み出せないものだ。

凡人は、この踏み出す勇気が中々出ず、またタイミングも、わからない。この時に背中を押してくれるのが、占いであったり、暦注なのだろう。

 

自分で物事を決めかねている時、天才の蓄積してくれた知恵をかりて、自分のできる限りの論理的思考を使って考え、決めるのがいい。