☆スワミ・ニランジャンの言葉☆

≪本当に必要なもの≫

スワミ・シヴァーナンダ(Swami Sivananda)は、科学者でした。 





肉体と、心の知識を持った、

西洋医学の医師だったのです。



スワミ・シヴァーナンダ・サラスワティ



スワミ・シヴァーナンダが

サンニャーシンになったとき、

彼は、霊性の

深い理解を発現させました。




私たちBSYの伝統において、

人がこの世界に生きている限り、

肉体は、

それを通して、

人が人の仕事をし、

責任や義務を成し遂げ、

その人のカルマ(karmas)を満たすために、

その人のダルマ(dharma=自然に摂理)を

精一杯生きるための

(魂の)乗り物であり、

道具であるといわれています。





これは、スワーミー・シヴァーナンダによって

堅持された見解であり、

およそ80年前に彼が語ったことです。




スワミ・シヴァーナンダは、

すべての個人は、

霊的な成長と、

エンライテンメント(啓蒙)に到達するために、

努力していると信じていました。





サードゥー達と聖者たちもまた、

人生の目的は、

霊的な啓蒙と、

神様を体験的に理解することであると、

言ってきましたが、

今もってなお、

個人の人生において、

それは

欠くことのできないもの

というわけではありません。






スワミ・シヴァーナンダは、

一つの実例(説明)をもって、

この点を明らかにしました。





盲目の人が、

太陽を見たいと、

強い欲望を持っていました。





太陽を見ることは、

彼にとって、

どうしても

なくてはならないもの

というわけではありません。




それはただ、

彼の望みだったのです。




盲目の人に必要なのは、

単に見ることができる、

視野を持つことができる能力です。





見ることができる能力を、

彼が手に入れるとき、

彼はやっと、

太陽が創り出した

創造物全体を見ることができます。




これが、

スワミ・シヴァーナンダが話したことの

概要です。




リシ(rishis)や、

ムニ(munis)や、

マハートマ(mahatma=偉大な魂の持主)達は、

神様を体験的に理解することは、

人が存在する目的であると、言っています。





しかし、これは、

(太陽が見せるために存在する世界を

見る必要があるということではなく)

太陽を見たいと欲する、

盲目の人の錯覚に似ています。





人に必要なのは、

神様をリアライズ(体験的に理解)することではありません。






人が必要とするのは、

平和と、

十分であることと、繁栄や、

成功や幸福のために、

最大限となる人の






人が創造的な無限の可能性を

外側に表す機会を持ち、

その人の人生を、

上手にマネージ(制御)することです。






個人が

何も欠けているものがないと

体験する、

平和で静穏な、

この状態に到達するときに、

その時になって、初めて、

人の心は次の旅へと乗り出るのでは

ないでしょうか?






もし、人が、

ぜんそくに苦しんでいるのに、

「みなさい、友よ、

あなたは、この肉体自身ではありません。





あなたは、

不滅の魂なのです。」

と言われたところで、

苦しんでいる人は、

何を言われているかには、

全く注意を払わないでしょう。





人がぜんそくで苦しんでいるときには、

哲学なんて、

聞きたいとも思わないはずです。





その人にとって、

ぜんそくが良くなり、

健康になれる教えや

指導の実際的・実技的な方法を

必要としているのです。





一度、

健康になったなら、

その人は、初めて、

別の探求に向かうことが

可能な状態になります。





ゆえに、

ヨーガは、

肉体的、心理的、そして、感情的な安寧と、

霊的な意識の目覚めのために、存在するのです。




<3に続く>

2014年7月26日 

インド、コルコタ市、

スワブーミー・ランガマンチにて。



スワミ・ニランジャンアナンダ・サラスワティー

( ビハール・スクール・オブ・ヨーガの霊的指導者)








スワミ・ニランジャン





Ψ サッティヤーナンダ /  ビハール・スタイル・オブ・ヨーガ 東京 Ψ