5年前のFB記事が出て来ました。




その時にはまだ

2019年にインドに行けるとも

スワミジーのとびきりの笑顔に会えるとも

少しも未来が見えなくて。





でも神様への想いは

今よりもずっとはっきりしていたのかもしれない。





今では少し

離れてしまった感がある。



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>私が、先天性の疾患の後遺症で

ある日突然

両股関節の健康を失い





仕事も、普通の生活も、

人生の夢も、将来の希望も、

全て失ったように感じ、





股関節の大手術を乗り越えたものの、

回復に予想以上に年月がかかり、





思考が停滞し、

3年間うつになって、






日々の生活すらままならくなっても、





死を全く考えなかったのは、

インドでサッティヤーナンダ・ヨーガに出合っていたからでしょう。

(※今はもう、うつは治っています。)






それは、どんな状況でも神様はいて、

私の事を考えてくれているはずだという思い。






そして、

前の人生で自分が作ってしまった今生のカルマを、

解決しなければならないのが今生で、






自分に課されていることなのだと、

教えられていたからかもしれません。







どんな形かは分からないけれど、

自分に超えられる分だけ

困難は与えられているはずだ

(神様はそれほど無慈悲では無い。

必ず救済がある。)

という確信だったと思うのです。






自分の中に、

今の困難を乗り越えるだけの強さが隠れていて、






さらに

どこからか救いの手が伸べられるはずだ、

という思いから、






死という選択は

どれほど体や思考がスローになっていても

全く思い浮かびませんでした。






私はまだ

この「大切なもの」を

究極的に変質させて、

魂に融合させるまでは至っていないのですが、





いつか何かが起こるのかも・・・?






いや、

何かを体験的に理解する時が

必ず来ると思っています。







人生で起こる事にムダは無いのですから。






いつかきっと、

この困難が、

なにかの役に立つ日が来ることでしょう。






いつかきっと、

この困難が、

自分には必要だったんだと、

分かると気が来ると思うのです。






まあ、すでに、

インドに行かなくても、

日本にいながらにして、






毎日、

大好きな出汁と醤油のご飯を食べ、

(これはアーシュラムでは出来ないし)






新鮮なレタスのサラダを食べ、

(これもインドではでは出来ないし)






ゆっくりとお風呂につかり、

(これもアーシュラムではできないし、インドでは難しい)





好きな時に寝て、

好きな時に起きて、

好きな時に食べて、

好きな時に好きなだけ遊んで、

好きな時に休む。






こんな生活が許されているのも、

股関節の疾患のおかげですが(笑)






前世で修業三昧だったそうな私は、

本当は、

こうしてゆっくり

休みたかったのかもしれません。






そして、

普通に生活して、

「ウルバーラクの実が熟するように」

時間をかけてカルマを消費するのも






いいのかもねって

思ったり。







以下は私のヨガの師、

スワミ・ニランジャンの言葉です。






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>心と、

大切なものが

苦難に見舞われ、





大切なものが

究極的な変質を遂げて、





魂に融合する時が、

やって来る。





~スワミ・ニランジャンアナンダ・サラスワティー 2013

ビハール・スクール・オブ・ヨーガの霊的指導者








Ψ サッティヤーナンダ / ビハール・スタイル・オブ・ヨーガ 東京 Ψ