誰もが死ぬことはまぬがれません。
死ぬときには、良いサムスカラ(潜在意識の印象=あらゆる行動の元)をもって死にたいものですなー(笑)
次の生が良いサムスカラで支配されるなら、どんなに素晴らしいでしょうね。
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~Gita 10章3節~
彼(クリシュナ=宇宙に遍在する神様)を、
まだ生まれていないもの、
始めのないもの、
複数の世界の偉大な主として知る者は、
惑わされず、
死すべきもの達の中にあっても、
全ての罪から解放されている。
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以下は、スワーミー・シヴァーナンダの解説の訳です:
至高の存在は、
世界の全ての理由であるので、
彼に始まりはない。
彼は、神々と偉大な聖者たちの源であるので、
彼の存在の源はない。
彼には始まりがないので、
生まれることもない。
彼は、世界のすべての
偉大な主である。
Asammudhah=惑わされない
(※悟りにはいくつもの段階があるので)
最も深い自己( innermost Self)を経験的に理解した者は、
至高の自己(the Supreme Self)としての
惑わされない者とは別である。
無知が取り除かれることによって、
自己と自己でないものの
二重性による惑わしも取り除かれる。
彼は、3つの時期に行った
自覚のあるなしにかかわらない、
あらゆる罪から自由になる。
無知な者は、
罪を償う行動(Prayschitta=罪滅ぼし)と、
罪滅ぼしがもたらす果実によって、
彼の罪を取り除こうとする。
しかし、
その人は、
すべての罪から自由になるわけではない。
なぜなら、彼は、
すべての罪とその影響の基の理由である
無知を根絶していないがゆえに、
重ね合わせられた感覚つまり、
肉体こそが自分であるという認識と、
エゴイズム(自分中心主義)によって、
潜在意識にある印象であるところの
邪悪なサムスカラの力による
罪深い行いを続けるからだ。
彼は死ぬときに、
邪悪なサムスカラの力によって
静かに揺らされるので、
その人は次の生においても、
自分自身で
罪深い行いをするようになってしまう。
しかし、
自分を自己実現(真に悟った=自分について経験を伴って理解)
した聖者は、
すべての罪の根源である無知と
それが引き起こす行動から自由であるので、
完全にすべての罪から自由である。
つまり、
自分(the Self)と自分でないもの(not=Self)の間にある、
互いに重ね合わせられた関係のせいで、
肉体を自分だと思う
誤解している一般概念によるサムスカラに沿った
あらゆるものと、
すべての罪が、
根絶されているからである。
サムスカラは、
ローストされた種のように、
完全に焼かれる。
焼かれた種が、
もはや発芽することができないように、
焼かれたサムスカラは、
将来の行動や、
(肉体の)誕生を
生じることはできない。
Ψ サッティヤーナンダ / ビハール・スタイル・オブ・ヨーガ 東京 Ψ
Ψ Satyananda / Bihar Style of Yoga Tokyo Ψ