スワミ・シヴァーナンダの言葉
メディテーション(瞑想)は、
主に対する精神的な祈りです。
主の名を歌うこと、キールタンは、
声を使った祈りです。
愛と神様へ向かう気持ちで、
生きとし生けるものに奉仕するのは、
肉体的な祈りです。
人は、徐々に進化するとともに、
あるステージを通過して、
別の祈りのステージへと移ります。
彼ら自身によって、
低い段階での祈りは脱落してしまいます。
人は、どのような種類の祈りを行う時であれ、
基礎となる、
内在された、
浸透する
あるエッセンス
もしくは知性を
忘れてはいけません。
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こんばんは、マンちゃんです。
今日は、祈りの方法が
一つだけではないことを
皆さんにお伝えしたなと思いました。
その人の性質がタマス(重く・粗雑)で
心が混乱しており、
自ら動くことすら難しい状態であったりすれば、
キールタンなどに参加して、
神様の名を歌うとこ
歌わなくても、
キールタンに参加して、
音のバイブレーションに触れるだけだけでも、
十分な祈りとなります。
サッティヤーナンダさんは、
キールタンが、
「最速・最強のメディテーション・ツール」
であるとまで言っていました。
しかも、キールタンのすぐれているところは、
誰が行っても安全だということです。
心がもう少しラジャス(活動的)になれば、
祈りもまた、
周囲の利益となることを「行う」ことで、
その人にとっては
十分な祈りとなるでしょう。
スーリヤ・ナマスカーラ(太陽礼拝)のように、
祈りを伴った
アーサナを行うこともいいでしょうし、
カルマ・ヨーガは、
利益をも生み出す、
大変優れた、
行動の祈りの形です。
さらにサトウィック(精妙)な性質のひとであれば、、
座って目を閉じるメディテーションも
祈りとなるでしょう。
どれも、
自分がその時にやりたい方法で、
好きな神様に向かって
祈ればよいのだと思うのです。
もちろん、全部の方法で
祈れば、効果倍増
BSYのアーシュラムなどでは、
様々なレベルの方が集いますから、
全部の方法が
日課に組み込まれています。
シヴァーナンダジーの言葉にもあるように、
ただし、
どれほど祈りの方法が精妙になるとしても、
テクニックにとらわれることなく、
また、自意識過剰になることなく、
祈りの根本である
謙虚な気持ちでしか感じられない
大切なものを忘れてしまわないように
気を付けたいものですね。
スワミ・シヴァーナンダ・サラスワティ
Swami Sivananda Saraswati
スワミ・サッティヤーナンダの師
Guru of Paramahansa Swami Satyananda Sarasuwati
Ψ Styananada / Bihar Style of Yoga Tokyo Ψ
Ψ サッティヤーナンダ / ビハール・スタイル・オブ・ヨーガ 東京 Ψ
スワミ・シヴァーナンダ・サラスワティ