スワミ・ニランジャンの言葉

 

ある日、

 

私が、シュリ・スワミジー(サッティヤーナンダ師)の

 

ヴェディー(vedi=ヴェーダの犠牲の儀式)の傍にある

 

小さな事務所の室内で働いていた時、

 

ふと窓の外を見ると、

 

彼がそのパンチャグニ・サダナ(5つの火の行)を

 

中断してやって来て、

 

窓からわずか数メートル外に立ったかと思うと、

 

あっという間に私の目の前にいました。

 

彼の金色とブロンズ色に焼けた肌からは、

 

汗が流れていました。

 

ゆっくりと、

 

右手の人差し指をあげると

 

玉のような額の汗をぬぐいました。

 

その、静かな瞬間に、

 

私は彼から

 

「我(Self)を変質させるには、努力が必要だ。」

 

というメッセージを受け取りました。

 

 

 

一度、私たち数人の前で、

 

シュリ・スワミジーはいいました。

 

「ある人は、脚が痛いという。

 

彼は、その体の1パーセントだけが病んでいるにもかかわらず、

 

重病人のように自分で感じているのだ。

 

彼は、

 

その1パーセントが自分のすべてだと思っているので、

 

彼自身が

 

自分を本当に悲しく・残念に思っている。

 

 

 

 

 

他者のために奉仕しなさい!

 

己を忘れなさい。

 

あなた自身の事、

 

あなたの痛みについて考えることを

 

止めるのです!

 

 

 

 

 

 

ここは、

 

健康と喜びの場所です。

 

覚えておきなさい。」

 

 

 

 

 

こんなこともありました。

 

文盲の村人が、

 

伝票にサインをしなければ

 

ならなくなった時のことです。

 

誰かが、

 

どうせ、その村人にサインをさせるのは

 

到底難しいので、

 

その村人本人を探し出す手間をかけるより、

 

誰か別の人が

 

代わりにサインをすればいいといいました。

 

 

 

 

 

 

シュリ・スワミジーは

 

その会話を聞いていて

 

近くにやってくると

 

「難しい」とはいったい何がか?と尋ねました。

 

その答えは学びのあるものでした。

 

 

 

 

 

 

「人にとって難しいのは、

 

唯一、神を知ることだ。

 

あらゆることは、

 

何とかできるものであり、

 

 

 

 

 

 

だいたいが、およそ大したことではない。」

 

 

 

 

 

 

 

 

Sri Swami Satyananda Saraswati

The founder of Bihar School of Yoga

 

 

シュリ・スワミ・サッティヤーナンダ・サラスワティー

ビハール・スクール・オブ・ヨーガの創立者

 

 

 

Ψ Styananada / Bihar Style of Yoga Tokyo Ψ 

 

 

Ψ サッティヤーナンダ / ビハール・スタイル・オブ・ヨーガ 東京 Ψ

 

 

 

パラマハンサ・スワミ・サッティヤーナンダ・サラスワティ