スワミ・ニランジャンアナンダ・サラスワティの言葉

 

 

1992~2000年、

 

私は、リキアのアカラ(akhara)に暮らしました。

 

私が受けたいくつかの霊的な教えは、

 

あらゆる人々とともに、分かち合う

 

プラサード(下されもの)のように思います。 

 

 

 

 

 

そして、師の存在もまた

 

無くてはならないものであり、

 

その導きは、

 

途方もなく強力であるということを、

 

私たちは感謝する必要があります。

 

 

 

 

 

霊的な熱望者は、

 

師の同席者としてともに住む機会を持つことによって、

 

単純に成長するわけではありません。

 

 私たちが、師の教えの真実と知恵を、

 

自身の日々の存在の中に、実行する方法を見出すまで、

 

彼とともに、神聖な環境の中で、生活した時間は、

 

その人の人生で、

 

単に「素晴らしい出来事」となるだけです。 

 

 

 

 

 

理解すること、慈悲、降参すること、信じること

私は、1992年2月、

 

ガンガー・ダルシャンからリキアに呼ばれました。

 

その時、スワミ・サッティヤーナンダは、

 

パンチャグニ・サダナ(5つの火の行)を行っていました。

 

そのころ、彼は神様から

 

「私があなたに避難する場として与えているように、

 

いまや、あなたは、

 

自分の近隣の人々にそれを与えなさい」という、

 

非常にはっきりとしたメッセージを

 

受け取っていました。

 

 シュリ・スワミジー(サッティヤーナンダ師)は、

 

リキア・パンチャヤットの村人たちに、

 

彼のプラサード(贈られたものが分け与えられたもの)

 

与えることによって、

 

このメッセージを成就させようとしていました。

 

 

 

 

 

 2月3日に、私が彼に会ったとき、

 

彼は、黒いランゴティ(langoti=ふんどし)一丁で、

 

そのドゥニ※の前に足を組んで座り、

 

左腕をダンダ(danda=数珠を持つ腕を支えるT字の杖)に載せ、

 

両目を閉じていました。

 

 

 

 

 

その瞬間のことは、

 

私の記憶に、

 

永遠に深く埋め込まれています。

 

 

 

 

 

※ドゥニ(dhuni) :地面を切って作られた聖なる場所。

 

女性の子宮と性器のシンボルであるヨーニを象徴している。

 

 ゆえに、シャクティーへの祈りの場を意味する。

 

 

 

 

 

 私は彼に尋ねました

 

「スワミジー、私は、この人生で、

 

何をすればいいのかわかりません。

 

どこに行けばいいのでしょう? 

 

いつまで

 

一つのアーシュラムにいればいいのでしょうか? 

 

シドニーでも、ローマでも、アテネでも、アメリカでも、インドでも、

 

私は、道端に、乞食を見ました。 

 

どこもかしこも、人々は困窮しています。 

 

私は、この人生で、

 

何をするべきでしょうか?」

 

 

 

 

 

彼の長い回答は、

 

私の日々の存在の目的を

 

励まし続けています。

 

「あなたは、

 

彼らがその悲惨さから抜け出すのに、

 

何が必要かを、

 

見て、理解し、学びなさい。」

 

 

 

 

 

 

あなたは、

 

慈悲(思いやり)を持たなければなりません。

 

 

 

 

慈悲のない、霊的な行、霊的なもの、宗教を扱う人生は、

 

意味がない! 

 

必要ですらない! 

 

虚(むな)しい!

 

 

 

 

 

仏陀、キリスト、マホメット、ゾロアスターは、

 

慈悲(情け)を知っていたので、

 

皆、偉大なのです。

 

 

 

 

彼らは、まったくもって、

 

(他者に)情けをかけ、与え、

 

思いやった。

 

 「あなたのサダナ(霊的な行)を

 

これ以上拡大してはなりません。

 

あなたが今やっていることを

 

続けなさい。

 

それ以上は必要ない。

 

 

 

 

 

 

もし、あなたが慈悲を発達させ、

 

すべての人々を理解するなら、

 

あなたのサダナ(霊的な行)は

 

全くもって成就するだろう。」

 

 

 

 

 

 

「あなたは、期待を持つことなく、

 

すべての人々の友達となりなさい。

 

ミットラ・サダナ(Mitra sadhana=友達の行)それは、

 

すべての人々を、理解し、

 

情けをかけ、

 

思いやることです。

 

 

 

 

 

 

 あなたは、全世界を、

 

あなたの隣人だとみなさなければなりません。

 

本当に心の開いた人だけが、

 

これを行うことができます。

 

 

 

 

 

あなたの心は、

 

完全に開かれなければならない。

 

 

 

 

 

「ここに住んで、

 

何が行われるのか見なさい。

 

ニシカマ(nishkama=いかなる果実も報酬も求めない行い)の心得で働きなさい。

 

そうすれば、

 

ここを離れるころには、あなたの人生で、

 

何をすればよいのかわかるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

ニシカマの心得で働きなさい。

 

あなた自身を、神様の意志に捧げなさい。

 

神様の意志に降伏しなさい。

 

それが、すべてを行う力となります。

 

神様だけが、

 

あなたの心のから、

 

いくつものブロック(妨げているもの)を

 

取り除くことができるのです。

 

 

 

 

 

彼だけが、

 

あなたの心をクリアに(曇りなく)できます。

 

彼だけができるのであって、

 

私にはできない。

 

 

 

 

 

 

神様から来るものだけができるのです。

 

指導を得るために、

 

彼(神様)のほうを向きなさい。

 

彼に、信頼を置きなさい。

 

神様の意志にそぐいなさい。

 

 

 

 

 

彼は、あらゆるものの後ろにある力です。

 

彼は、すべてのものの後ろにある

 

フォース(現実に用いられたパワー)です。

 

彼は、すべてのものの後ろにある

 

パワー(あることをなしうる能力)です。

 

神様を信じなさい。

 

 

 

 

 

 

 

私でなく。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「肉体を見てごらん。

 

なんて見事にそれは機能するのでしょう。

 

私たちが、

 

それをどうやって手伝うというのでしょう。

 

消化作用、循環作用、心・・・

 

すべての内臓を見てみなさい。

 

 

 

 

私たちがなにもしなくても、

 

それらはなんと素晴らしく

 

見事に働いていることでしょう!

 

それは神の意志であり、

 

彼の恵みであり、

 

彼のパワーです。

 

 

 

 

 

 

そして、表に、自然に目を向けてみなさい。

 

星々や、惑星、宇宙全体を見てみなさい。

 

そこには、

 

なんという美しさと雄大さがあるでしょう。

 

すべてが、彼の創造なのです。

 

 

 

 

 

 

私は、

 

それを何とかできると考えていました。

 

なんと間違っていたことでしょう!

 

 

 

 

 

 

いまや、私は、

 

起こることは、

 

神様の恵み、

 

彼の力だと知っています。

 

 

 

 

 

 

 

神様を信じなさい、

 

私でなく。

 

 

 

 

 

 

 

私に何か出来るだなどと思うだなんて、

 

なんて私はバカだったのだろう。」

 

 

 

 

 

 

 

Sri Swami Satyananda Saraswati

 The founder of Bihar School of Yoga 

 

 

シュリ・スワミ・サッティヤーナンダ・サラスワティー

 ビハール・スクール・オブ・ヨーガの創立者 

 

 

 

Ψ Styananada / Bihar Style of Yoga Tokyo Ψ 

 

 

Ψ サッティヤーナンダ / ビハール・スタイル・オブ・ヨーガ 東京 Ψ

 

 

 

 

スワミ・サッティヤーナンダ・サラスワティ