問い:
創造の、ハートへの関係とはどのようなものでしょうか?(その2)



答え:パラマハンサ・スワミ・サッティヤーナンダ・サラスワティ



私たちは、どのように、

バクティー(bhakti)つまり、神様を愛することを

発達させることができるでしょうか?




誰もが愛をほしがります。

誰もが愛し、愛されたいと思います。



愛は、あなたが知っている何かです。

私は、あなたに愛を教える必要はありません。

しかし、この愛を、

どのように

物質から魂へと

純化させるのかを

ここでお話ししましょう。




あなたが、

どのように、

物質的な世界の愛を、

神様への愛へと、

方向転換できるのかを。




あなたが物質的な世界を感じているときに、

どうやって神様の愛を

努力して獲得することができるのでしょうか?





あなたが(物資湯的な)その世界を愛しているときには、

あなたは影を追って走っているようなものです。






あなたが神様を愛するとき、

影とは反対のほうへと走っています。

つまり、

あなたは光のほうへと

走っているのです。





あなたが光を目指すなら、

影はあなたの後ろにあります。





愛は、すべての人類にとって、

自然なものですが、


あなたはそれを、

学び、はぐくむ(練習を重ねる)こともできます。





人々は子供たちを愛し、

両親を愛し、

伴侶を愛し、

ボーイフレンドやガールフレンドを愛します。




あなたは、愛がどれほど

人を夢中にさせるのかを知っています。




愛は、心が一点に集中するほどに、

ありとあらゆる注意力を

使いつくします。





あなた自分の子供たちに

限りない情熱を傾けたり、

憎んだり、

執着を持ったりする、

その時、

心のすべてが使いつくされ、

あなたの頭の中は、

何も得ることができなくなってしまいます。





ですから、

これを

神様に向けたほうが良いことは、

明白です。





しかし、

あなたは

そのように行動できません。





誰かを愛するために、

あなたは

論理的な関係を

見出さなければなりません。






彼女がガールフレンドであるとか、

彼はボーイフレンドであるとか、

私の息子であるとか、

娘であるとか・・・・

あなたはそんな関係を

見出しています。





あなたは関係を見出し、

関係を作り上げなければなりません。






あなたがその関係を知るまで、

どうやって他者を愛することができるでしょうか?






あなたは、神様が、あなたにとってどのようなそんざいなのか、

あなたが神様にとってどのような存在なのかを

納得するまで

神様を愛することはできません。






あなたの立ち場は、どのようなものでしょうか?



始めに、

あなたが神様と

どのような関係であるのかを

明白にし、

発見しましょう。






神様があなたの父なのか、

母なのか、

夫なのか、

恋人なのか、

息子なのか、

友達なのか、

それとも師であるのか?





彼は(あなたにとって)誰ですか?




あなたは、

彼について、

とてもとても

クリアーでなければなりません。






私はすでに、


愛は、すべての人にとって

自然なものであるという、

一つの事実をあなたにお話しています。





二つ目の真実は、


すべての人が、

すでに神様と繋がっているということです。





あなたは、

改めて、

神様と繋がる必要はありません。





あなたはただ、

彼(神様)を見いだせばいいだけです。




多くの聖者たちが、

神様を、

その伴侶であるかのように

最愛のものと

みなしています。





多くの人々が、

神様を、

彼らの師であるように

愛しています。






また、

ある人々は、

神様と自分を

同じものであると

考えています。






ウパニシャッド( Upanishads=4冊からなるインドの聖典の一つ)では、

Aham Brahmasmi(アハン ブラフマスミ)=「私はブラフマンである」、

Shivoham(シヴォーハン)=「私はシヴァ神である」、


Soham(ソーハム)=「私はあれである」、

Satchidananda Swaroopoham(サッチダーナンダ スワルーポーハン)

=「私は心真理、意識、歓喜の形である」、

と書かれています。





それが関係です。




スーフィーたちは、

Analhak=「私は真理である」と言い、

それもまた関係です。






あなたは、

それを感じることもできるでしょう。





聖書では、

キリストは

「私の父は私と一つである。」と

言っています。





しかし、」同様に、

同じ聖書の中で、

キリストは、

「私の父は天国にいます。」とも言っており、

「私は神の息子です。」とも言っています。


つまり、

キリストは、

神様を父として、

自分を神様の息子として

経験的に理解したのであり、

ここでは

キリストは

神様そのものではなく、

別のものです。





このように、

神様との関係は、

一つのものではなく、

あなた自身で、

様々な関係を見出すものです。





また、

神様との関係の中には、

師弟関係もあります。




他にも多くの関係があり、

価値のない息子や娘というものさえあります。




しかし、

バクティー( Bhakti)神様へと向かう愛が

常にそこにはあります。




すべての人には、感情があります。




もし、感情がなければ、

あなたは愛することも、

憎むこともできません。







神様に向かう感情は、

あなたが憎む敵に向かう感情と

同じものです。






また、

あなたが恐れたり、痛みを感じたり、

あなたが愛の中で表現するものは皆、

同じ感情です。






基本のものは同じなのですが、

敵に対するもの、

最愛に人に対するもの、

神様に対するもの・・・




で、標的が違うだけです。




そこには、

人の感情

つまりバブナ(bhavas=思い)があります。





それらは、

ハートの奥から

出てきます。





あなたはそれを

感じることができます。




あなたがもし、

神様と関係を持ちたいのであれば、

あなたのハートから、

神様へ、

あなたの全ての誠実さと、

真実をもって、

神様と繋がらなければなりません。





なぜなら、

あなたは、ほかの誰でもない、

あなた自身である、

誰かについて

語らなければならないからです。





あなたは、

あなた自身に

語りかけています・・・

誠実に・・・




なぜなら、

あなたは全世界を欺くことができるでしょうが、

あなた自身を欺くことはできないからです!





神様は、

あなたの中にいます。





そして、

彼(神様)は、

あなたが何を思い、

何を体験的に理解し、

何を感じているのか、

あなたがなんであるのかを

全て知っています。






というより、

そのすべてが、

彼(神様)によって

起きていることでしょう。





彼が、

あなたや私が感じたり、

考えたりすることを

すべてお見通しだと




そしてそれは、

彼こそが

人生における

全てであるから

という理由かもしれないと、

誰が知っているでしょう。





あなたが考えているあらゆるものが

貴方のカルマであり、

自然さであり、

(愛すべき)悪癖でもあるので、

この世界では役に立たないと。





あなたは、

伴侶や子供たちの世話をします。




あなたが年老いて、

彼らが皆あなたのもとを去るまで、

あなたは彼らのために、

昼も夜も懸命に働き、

彼らを支えるために

お金を稼ぎます。





しかし、

あなたは、

彼(神様)が

一生の間、

あなたの面倒を見ているにもかかわらず、

彼(神様)に注意を払うことは

してこなかったのです。





バクティーのバブナ(思い)を、

発達させることを通して、

行うやり方があります。




あなたは神様を忘れてはなりません。




あなたはたぶん、

彼について

語り、

本を読み、

彼を強く求めることすら

するでしょう。





けれどあなたは

お金のため、

仕事のため、

成功のため、

子供たちのためのようには、

彼(神様)のために

働いたことはありません。





あなたは、

なんと一生懸命に、

日夜働いていることか!





しばしば、

あなたは

(お金を得る仕事のためには)

心臓発作さえ起こすのに、

神様の愛のために

心臓発作まで起こす人は

誰もいないではないですか!




感じ方には、

ゆらぎ(強く感じる場合と弱く感じる場合)が

ありますね?




私は、それを止めることはできません。




バクティーの道の中にも、

ゆらぎは起こります。




ゆらぎは、

ババナつまり、感じ方における

拡張や、進歩・向上の目安として

生じるものです。




感じ方は安定したものではないので、

人はまた、

物質的で世俗的な感じ方のゆらぎも

体験します。



心が安定していないとき、

それは、上がり下がりを体験します。



同様に、

感じ方もまた、

安定していないときには、

上がり下がりがあります。




これらの揺らぎを防ぐために、

人は、

コンスタントに、

サットサンガを聞かなければならないのです。



サットサンガは、

それが、ほんのわずかでも減ってしまった時に、

あなたが、

ババナ(感じ方)によって、

減った「電池」を充電するすることができる ものです。




そうすれば、

あなたのババナ(感じ方)は、

安定し、

変わることがないでしょう。



最終的に、

あなたは、

非常に高い注文である、

その状態に固定されるでしょうが、

しかし、今は、

揺らぎは必然です。




人間において

霊的な意識の揺らぎは、

通常の意識のゆらぎと同様、

自然なものです。




この百万年の

進化の中で、

人は安定した意識を持っていません。




人の意識は、

揺らいでいます。




それは今、安定し始め、

安定した一瞬は、

意識は大変甘美なものです。




人生の問題における解決は神ですが、

まずは、神様との関係を、

鍛えなければならないでしょう。



誰もが彼(神様)と繋がっているので、

つまり、

繋がっていない人はいないので、

あなたは、

神様との関係を

発見するべきなのです。



この世界に存在するものすべては、

それが、

一輪の花であろうと、

一枚の葉であろうと、

一本の木であろうと、

神様の一部です。



この宇宙に、

神様とつながっていないものなどありません。




もし、その関係が知られれば、

感じ方は、

自動的に発生し、

「私が」という、

エゴと一体となった感覚は、

より、目立たなくなるでしょう。




1994年12月、リキアにて


パラマハンサ・スワミ・サッティヤーナンダ・サラスワティー

ビハール・スクール・オブ・ヨーガの創立者





Paramahamsa Swami Satyananda Saraswati
 
(The founder of Bihar School of Yoga)





Ψ サッティヤーナンダ・ビハール・スタイル・オブ・ヨーガ東京 Ψ




  
Ψ Satyananda / Bihar Style of Yoga Tokyo Ψ








パラマハンサ・スワミ・サッティヤーナンダ・サラスワティ