日本の国旗 日の丸と言えば、「白地に赤の日の丸」
太陽を見て「赤い」と感じる人はどれほどいるのでしょうか。
太陽を赤で表す国は珍しいと読んだことがあります。
私はいつからか「白地に赤の日の丸」を見ると違和感を感じるようになりました。
覚醒が進んでくると、その理由がわかるようになりました。
「白地に赤の日の丸」は、エネルギーが貧弱。
パワフルさを感じません。
高次元とはかけ離れた印象を受け取ります。
ある時、何かを調べていると、こんな話を知ることになりました。
「白地に赤の日の丸は、源氏が掲げたもの」
「平氏は、赤字に金の日の丸を掲げていた」
「白地に赤」「赤字に金」見比べると、「赤字に金の日の丸」の方が明らかにパワーが強いことがわかります。
「白地に赤の日の丸」が主流になったのは、源平合戦の後と言われているようです。
簡単に二手に分けられるものではありませんが、謎解きを進めてきて気づいた、おおまかな流れとしてはこのようになるようです。
「平家は出雲族の流れを汲む人々=レムリア・縄文のエネルギーを帯びた人々」
「源氏は日向族や藤原氏(物部氏)の流れを汲む人々=アトランティスのエネルギーを帯びた人々」
源氏が幕府を開いたのは鎌倉。
鎌倉の地名の由来は、鎌足にあるとも言われています。
このことからも「白地に赤の日の丸」を掲げた源氏が、出雲族(蘇我氏)と対立した藤原氏や日向族の流れの人々であることがわかります。
平家が掲げた「赤字に金の日の丸」
これは何を意味するかというと、出雲族の代表者であったスサノオと、その妻、そしてさらには大国主を表しています。
要するに「369 みろく=大日如来」を表しているとも言えます。
スサノオ(=サナト・クマラ)のエネルギーの色は、赤。
スサノオの妻(=大国主の母=レディ・ヴィーナス・クマ)のエネルギーの色は、金(黄)。
そして、この二人の子である大国主(ニギハヤヒ)
「赤字に金の日の丸」は、スサノオとその妻、そして二人の子である大国主をも表している・・・ということになります。
大国主は「椿」としても表されますが、赤い花びらに黄色の花弁の椿は、「赤字に金の日の丸」と同じことを表しています。
では、源氏が掲げた「白地に赤の日の丸」には、どんな意味が隠されているのでしょうか。
さきほど書いたように源氏は、出雲族と対立した藤原氏(物部氏)や秦氏(日向族)の流れを汲む人々と思われます。
源氏にはオリオン人が多く転生していたという話を、よく見かけます。
物部氏(藤原氏)はオリオン人が転生した人が多くいたと思われます。
出雲族はアセンション推進派。
それに対抗した物部氏(藤原氏)には「トート・ヘルメス(ニニギ)信仰」があると思われることを、これまでにも書いてきました。
トートは良く知られている通り、「朱鷺(トキ)」として表されます。
朱鷺はもちろん様々な種類があるのでしょうが、すぐに思い浮かぶのは、体が白く、顔が赤い鳥です。
まさに朱鷺は「白地に赤」と言って良いのではないでしょうか。
↑Wikipediaより画像をお借りました。
「トート(ニニギ)信仰」をもつであろう源氏の人々は、「朱鷺=トート」を表す「白地に赤の日の丸」を掲げたのではないでしょうか。
明治維新は、このアセンションを阻止したい人々が起こしたクーデーターと言えると思います。
要するに「トート(ニニギ)信仰」をもつ人々によって、明治維新が起こされました。
故に、後に「白地に赤の日の丸」が国旗として制定されたのだと思われます。
こちらの記事には、このように書かれています。
以下転載
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古代から赤い真円で太陽をあらわすことは、一般的ではありませんでした。
また「平家物語」などの記述からも、平安時代の末期までの「日輪(にちりん=太陽の別名)」の表現は、「赤字に金丸」であったと考えられています。
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またこちらの記事には、このようなことが書かれています。
明治時代になり日本が「白地に赤の日の丸」を掲げるようになると、ヨーロッパの各国(イギリス、フランス、オランダなど)がこのデザインを買い取りたいと申し出たそうです。
陰謀論などに詳しい人の間では、世界中の国々でイルミナティやフリーメイソンの息がかかっていない国はほとんどないと言われています。
王族、政治家、大企業、マスコミ・・・あらゆるものが、ピラミッド式の支配構造に組み込まれています。
イルミナティの本拠地とも言えそうなヨーロッパ各国が、この「最もトート・ヘルメスを表した国旗のデザイン」を欲しがったとしても不思議はないでしょう。