物部氏の祖はニギハヤヒとされる。
ニギハヤヒは謎の多い存在だと言われているが、それは意図的に隠されてきたからだろう。
ニギハヤヒは大国主だ。
大国主はサナンダ・クマラという宇宙の存在が転生した人物。
サナンダは複数の意識次元に存在している。
そのうちの一つの存在が、シリウスの龍族のニギハヤヒになる。
ニギハヤヒという名を名乗って地球に存在したことがあるのかはわからないが、祭神名として出てくる饒速日は、このシリウスの龍族のニギハヤヒからとったものだと思われる。
一つ前の記事に書いたが、物部氏は蘇我氏と同族だったのではないかと感じる。
蘇我氏の祖は武内宿禰とされるが、私は武内宿禰のエネルギーを全く感じることが出来ない。
それは蘇我蝦夷と同じく、実在した人物ではないということを示しているのではないかと感じる。
蘇我氏の祖が武内宿禰であるというのは嘘なのではないか。
武内宿禰の73代目?だとかの竹内睦泰氏。
もちろんこの方の存在は知っているし、この方の動画も見たことがある。
動画の中では、ろれつが回っていなく、大変危うい印象を受け取った。
竹内氏の本も読んだことがあるが、何と言うか・・・そこには真実を感じさせるエネルギーがなく、読むのがしんどいと感じた。
2割も読まずに読むことをやめたことを思い出す。
ちなみに光側の高次元存在が、地球の人々に真実を伝えようと考えた時に、大量の情報をひたすら口伝で受け継がせるなどというベタな方法を選択するとは考え難い。
もっと賢いやり方がいくらでもあるからだ。
話が大きく逸れてしまったが、要するに武内宿禰が蘇我氏の祖であるというのは嘘なのだろう。
「どなた様ですか?」と聞きたくなるような感じがする。
蘇我氏の祖としてあげるのならば、スサノオか、スサノオの父であるフツが妥当だと感じる。
宇宙の存在であるアーリオーンは、出雲族が日本へ渡ってきた時のことを語っている。
その時の出雲族の族長を、スサノオの曾祖父とスサノオの父であるフツだと語っている。
物部氏が蘇我氏と同族であったとしたならば、祖はフツか、スサノオにするのが適切だったのだろう。
しかし、フツ、スサノオ、大国主の名を出したならば、自らどのような存在であるかを明かしてしまう。
そこで、大国主の大元の存在(シリウスでの存在)の名であるニギハヤヒを祖としたでのはないか。
何故、シリウスにおいての名を知っていたのか?
それは、光側も相手方も宇宙の存在だからだ。
様々な方向から縄文期にはとても高度な文明があったことが明かされつつある。
そして、当然、それらは光側の者たちが地球と人類の発展のために築いたものと言って良い。
宇宙の存在たちが地球や人類に深く関わってきたことは明らかだ。
しかし、その部分を隠されている。
ニギハヤヒは意図的に神話にもあまり登場させなかったのだろう。
ニギハヤヒという存在を「謎」にしておけば、物部氏が蘇我氏と同族だったこということも隠せる、ぼかせるということではないか。
物部氏の神社である石上神宮の祭神は、布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)だ。
これは、要するに、スサノオの父である「フツ」の名からとっているのだろう。
また、物部氏と関係が深いとされる経津主神(ふつぬしのかみ)。
これも「フツ」のことではないか。
-----
出雲族にはシリウスの龍族の者たちが多く転生していたと感じる。
スサノオはシリウスのセオリツ(=サナト・クマラ)が転生した人物であるし、大国主はシリウスのニギハヤヒ(=サナンダ・クマラ)が転生した人物だ。
スサノオのエネルギーほど強く感じることは出来ないが、フツのエネルギーも私は感じられるように思う。
私の内側にあるニギハヤヒの意識(感覚)がそうさせるのだろう。
ということは、フツもシリウスの龍族の者が転生した人物なのではないかと思う。
経津主神(フツ)を祀る香取神宮を訪れた時のこと。
私はあまりの気持ちよさに思わず心の中で呟いた。
「遊びに来たよ!」
すると、ザーッと心地よい風が吹き抜け、一枚の木の葉が飛んできた。
私の左の二の腕にコツンと当たり落ちた。
龍たちが私に挨拶をしてくる時に、よくこのような方法をとる。
龍だと思われるフツがそうしてくれたのかはわからないが、とにかく心地よい思い出だ。
私は千葉に行くといつも思うのは、富津は「フツ」なのだろうということ。
そして、東北新幹線で宇都宮を通り過ぎる時に、いつも「宇都宮は、フツの宮」という言葉が湧く。