一つ前の記事に、宮城県の金華山黄金山神社に訪れた時のことを書いた。

 

牡鹿半島の鮎川港からフェリーで金華山へ渡る。

フェリーの乗船時刻までの間、「牡鹿半島ビジターセンター」を見学した。

 

時間を潰すために・・・との思いでふらりと入った。

しかし、そこは牡鹿半島に暮らす方々の想いがつまった空間であり、土地への愛が溢れているように感じた。

 

地元の祭りや古老から伝わる話、土地に暮らす生きものや、生活、文化などが展示物によって語られている。

気が付くと私の想いはそこに引き付けられ、時間も忘れて見入っていた。

 

興味深い話がいくつかあり、写真を撮らせて頂いた。

牡鹿半島に伝わる祭や信仰について語られたパネル。

 

牡鹿半島の給分浜という場所に、鳥海神社があるとのこと。

 

「鳥海」から思い浮かべるのは、山形県の鳥海山。

現在は「チョウカイサン」と読むが、かつては「トミヤマ」だったとのこと。

鳥海山にはニギハヤヒの降臨伝説があるそうだ。

森田一彦氏の著書「「生駒の天孫 ニギハヤヒと稲蔵神社」に書かれている。

 

こちらの記事に書いたが、ニギハヤヒと縁のある土地には、「トミ」という地名が残されているようだ。

ニギハヤヒの幼名?は「トシ」とのことなので、それが変化して「トミ」になったのだろうか。

 

 

千葉県の印旛沼周辺にはニギハヤヒを祀る「鳥見(トミ)神社」が20社以上ある。

奈良県の生駒には、「鳥見白庭山の碑」

上記の山形県の「鳥海山(トミヤマ)」

鳥はニギハヤヒ(大国主)の象徴。

 

牡鹿半島の給分浜に鳥海神社があることから、この地はニギハヤヒ(大国主)=出雲族と縁の深い土地であったことが伺える。

 

 

そして、「牡鹿半島ビジターセンター」に展示される「おしかの浜だより」というこの地に暮らす方の話の中にとても興味深いものがあった。

 

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<ニワトリを飼わない 卵も食べない福貴浦>

福貴浦(ふっきうら)の二渡(にわたり)神社はニワトリ神社って言うんだっちゃ。

んだがら、福貴浦ではニワトリは飼わねえ。卵も食わねえのっしゃ。

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福貴浦に暮らす70代の方のお話とのこと。

 

私はこの話を読んだ時に心が温かくなるのを感じた。

人生の先輩方から受け継がれる話。

そのような話にこそ大切なことが詰まっている。

そのような話こそ「宝」であり、世代間の交流の素晴らしさを私たちは思い出す必要がある。

 

ニギハヤヒと縁の深いと思われるこの土地では、ニギハヤヒの象徴であるニワトリ(鳥)を飼わないという考えが残っているのだと感じる。

ヒンドゥー教の聖牛崇拝と同じようなものなのではないか。

 

現代においもなおそのような信仰が残っているほどに、牡鹿半島は出雲族と縁の深い土地だったのではないかと感じる。

 

ニギハヤヒは大国主であり、大国主は蘇我入鹿だ。

 

 

要するに蘇我氏は出雲族ということになる。

 

蘇我氏と対立した物部氏の神社として有名な奈良県天理市の石上神宮。

石上神宮では鶏を飼っている。

 

出雲族(蘇我氏)の影響が強かったと思われる牡鹿半島の二渡神社に伝わる習慣と、物部氏の石上神宮での行いは正反対と言って良い。

 

「鶏(鳥)」に対する考え方の違いは、「大国主」に対する考え方の違いなのではないだろうか。

私はそんなことを感じた。

 

 

 

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「牡鹿」という地名は私に多くのインスピレーションを与える。

そのまま素直に受け取るならば「牡鹿」は「オスの鹿」

 

しかし私の感覚は、この土地は封印された女神と縁の深い土地だと語る。

金華山黄金山神社に祀られる弁財天。

弁財天は封印された女神を表す。

 

近くの「女川」という地名も女神を連想させる。

 

「牡」という字を解体すると「牛」と「土」になる。

「牛」は女神を表す。牛頭天王は、封印された女神を表す存在だ。

 

五行に当てはめると女神は「土」の要素を受け持つ。

「土」は、大地や地球を表し、地母神に繋がるのだろう。

 

そして、「鹿」も女神を表す存在なのではないかと感じる。

 

 

 

牡鹿半島には、「金華山のサルはシカの背に乗って渡ってくる」という話があるらしい。

 

サルは猿田彦なのだろう。猿田彦は大国主だと感じる。

サルを背中に乗せる鹿は、サル(大国主)の母である女神だと感じる。

 

埼玉県飯能市の竹寺にある牝牛のトーテム。

地元の方が彫られたものではないかと感じるが、このトーテムも上記の話と同じようなことを表している。

 

子を慈しむかのように、子猿を頭の上に乗せ、笛を吹く牝牛。

これは、大国主の母(封印された女神)と大国主の親子を表しているのだと感じる。

 

 

 

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朱華色の夜明け