島根県雲南市にある須我神社。

 

こちらの神社を参拝した時に、私を強く引き付けたものがある。

この神社を大切に思う方々が、どこか誇らしげに展示されているように感じた。

 

 


美しい彫刻。

このように写真を展示してくださっていることで、参拝者もその美しさに触れることが出来る。

 

本殿の破風に彫られた「日月」。

私に何かを訴えかけているように感じた。

 

帰宅後、地図で本殿の向きを調べてみる。

前が南南西、後ろが北北東を向いているようだ。

大雑把な捉え方になるが、それぞれ最後の一文字に注目する。

 

前が「西」、後ろが「東」と考える。

前の破風には「日」が、後ろの破風には「月」が彫られているとのこと。


前 → 西 = 日

後ろ → 東 = 月

 

これに、私が見つけた「左右の法則」を当てはめてみよう。

 

 

「西」は、サナンダ・クマラを表す。

「東」は、サナト・クマラを表す。

 

サナンダは、シリウスにおいては「ニギハヤヒ」として存在し、大国主として地球に存在した。

サナトは、シリウスにおいては、「セオリツ」として存在し、スサノオとして地球に存在した。

 

これらから導き出されることは、

「日」=サナンダ=大国主

「月」=サナト=スサノオ

 

「日月」は、「大国主とスサノオ」となる。

 

スサノオと大国主は、日本書紀では義父と娘婿の関係だったかと思うが、それは嘘だ。

この二人は、父と息子である。

 

「日」は日神(=太陽神)であり、「月」は太陽神の座を譲り隠居したような状態を示しているのではないかと感じる。

 

「日」である大国主は、父スサノオから日神の座を譲られたのではないか。

日神の座を息子に譲ったスサノオは、「月」として表されるようになったのではないか。

 

ちなみに、スサノオとして転生したサナト・クマラは、聖書の中で「日の老いたる者」として登場するとのこと。

老いて日神の座を息子(サナンダは魂の関係においては弟にあたる)に譲ったことを、「日の老いたる者」と表現したのではないかと感じる。