映画「AKIRA」を観ました。

 

世界中にファンが多いようですね。

私は今回はじめて観ました。

覚醒を進める道のりの中で、今のタイミングでこの映画が放つエネルギーに触れる必要があったようです。

 

この映画、かなり沢山の「要素」が含まれていると感じます。

 

 

ミカエルを思わせるような天使の像。

 

AKIRAという力の覚醒を願う人々は、修験者のような恰好をしている。

 

 

数々の印象深い言葉たち。

 

「AKIRAの力は誰の中にも存在するわ。でも、その力が目覚めた時、たとえその準備が出来ていなくても、その人は使い方を選択しなくてはならないの」

 

「未来は一方向だけに進んでいるわけじゃないわ。私たちにも選べる未来があるはずよ」

 

「今の僕たちには大き過ぎたんだ」「でも、いつかは私たちにも」「もう始まっているからね」

 

 

 

アセンションについてのメッセージなんでしょうね。

地球と人類は過去に何度もアセンションに失敗しているとのこと。

 

この映画には、アトランティスの崩壊などのイメージも含まれているように感じます。

 

そして、今回またアセンションのチャンスが訪れているんですね。

覚醒が進んだ方たちは、そのような情報に触れたことがあると思います。

 

「もう始まっているからね」

 

そう。今度こそは・・・

 

 

 

私たちは「死んだら終わり」の存在ではありません。

今生きている人生は「一つの章」に過ぎません。

 

だから多くの人々の魂の記憶に、AKIRAで描かれるイメージが残っているのかもしれません。

映画を観ることによって魂の記憶が刺激され、感銘を受ける人が多いのかもしれませんね。

 

死んだら終わりではない・・・ということは、死をそれほど恐れる必要はないんですね。

 

そして、「あの人が嫌いだから」と攻撃的な態度で接したりしていれば、その方の魂と因縁が出来る訳です。

 

この人生において、どのように生きるか。どのように人と接するか。

その小さな積み重ねが、魂の成長に繋がります。

 

私は本来「死」とは、目出度いものだと考えています。

インドネシアのバリ島のお葬式は、それを物語っていると感じます。

 

私の両親は数年前に今回の人生を卒業しました。

二人とも、最期はなかなかに厳しい時を経ての死でした。

しかし、その経験を「やり遂げた」二人に、私は称賛の気持ちを贈りました。

そして、別れの時には心の中で「お疲れさまでした」と言葉をかけました。

 

その人が与えるべきものを全て与え、そして、受け取るべきものを全て受け取った時、人は死を迎えると言います。

 

覚醒が進んだ人々が増えていくと、本来の死生観に戻っていくのではないかと感じています。

 

 

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映画「AKIRA」の魅力の一つは、やはり音楽ではないかな・・・と思います。

今回、はじめて知ったのですが、芸能山城組という方たちが担当されたとのこと。

ガムランやジェゴグを使った音楽は、とても印象的で、この映画に大きな魅力を添えています。

上にも書きましたが、本来あるべき姿の死生観が残るバリ島の楽器であるガムランなどが使われているのは偶然ではないのでしょう。

深いメッセージを感じます。

 

 

 

 

私はガムランやバリ舞踊が大好きで若い頃は毎年バリを訪れていました。

有名な楽団は、ティルタ・サリと、スマラ・ラティでしょうか・・・

 

ティルタ・サリは女性の舞が美しい女性的な要素の強い楽団と感じます。

 

私が好きなのは、断然!スマラ・ラティ。

統率のとれた音楽は、一つの宇宙船に乗る仲間たちかのように感じます。

ガムランの音色は宇宙の響きのようですよね。

 

 

 

そして、スマラ・ラティのメインダンサーのアノム氏。

アノム氏が舞うバリス(戦士の舞)は「最高」の一言です。

 

 

 

 

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