ベルサイユのばらは本編だけで9巻に及ぶ長編漫画で

上演時間がおよそ2時間半の宝塚歌劇ではその全てを網羅した舞台化はムズいのでオスカルが中心のオスカル編と、フェルゼンが中心のフェルゼン編というように物語の中心をシフトして舞台化されています。

 

いま、はたと「ベルサイユのばらって薔薇がなんだから主役はマリー・アントワネットじゃね?」と思ったあなた、あなたは正しい。正しいんだけれどヅカ的には男役が真ん中でなくてはならないので王妃様はど真ん中になれないんです。

 

原作は同じ年に生まれたアントワネット、フェルゼン、オスカルの三人が主役で3人の出自に始まり、最も長命のフェルゼンが惨殺されるところで終わります。

ただ世間一般的知られているのはオスカルという男装の麗人のスーパーヒロインで、そのため実写映画もアニメもオスカル中心です。

 

現在はフェルゼン編の上演が多く、それはヅカの事情です。

20年くらい前にヅカファンに言われたのですが

「フェルゼンできる人はいるけれどオスカルは難しいからなかなか上演できないのよ」

ファンは欲目があるのでそうかなあ贔屓はやりたいみたいだよと思ってしまいますが

ヅカには美貌の壁より高い序列の壁があります(呆)

3番手に絵麻緒さん風に言うと「明日にもオスカルができそうなくらい美貌の子」がいたとしてもオスカル役がまわってくるのはムズい。

どんなに光り輝く美貌の子がうろついていても序列が上の生徒が(もしくは劇団が大事にする順)オスカルをやる(この際だから十年来の愚痴もぶちまけたる)

美貌で華奢で歌上手だろうと、そんなことは劇団は蹴散らしまくってオスカルをできない生徒もいるわけですよ

普通に考えたら図体の大きさや美貌、歌唱力のバランスは重要ですがヅカにはそれ以上に優先される謎のものがあるんです。

 

しかし突然正気に戻ったかのように、まともなこともするので

どうしたいのかよくわからない。

 

一番謎なのはオスカル編に対する植田大先生の謎すぎる姿勢

オスカル編にアントワネットを出さないというアイデアに固執する謎。

原作少女には噴飯ものの謎思考。

その上映像演出でド顰蹙をかったのに

ペガサス飛ばして劇場を爆笑の渦とする謎

謎過ぎる。

もっと謎なのはそのオスカル編が好きというヅカファンの謎思考。

 

わかります、世代も変わってアニメより原作が先世代は遥か彼方の遺物となりつつあるのも

原作を読めばオスカルとアントワネットの絆、特にオスカルにとって王妃様がいかに特別で大きな大切な存在なのかわかると思うのですが、

王妃様にいないベルばらなんて気の抜けたコーラみたいなもの、もはやその名を名乗れませんと私は思いますが

ベルばらとは言えない代物でも贔屓の出番が多ければ良しとする、ロザリーが窓から闖入というコントみたいな流れでも許せるヅカファンの謎思考。

一言ことわっておきますが、私のご贔屓様が主演したアンドレとオスカルという副題のある昭和花版は断じて現在のオスカル編とは異なるものです。もっと言えば平成1作目みたいなロザリーがヒロインでもないです

ロザリーはヒロインではないし、馬が飛ぶのと一緒にしてほしくないです

 

昭和花版は宣材のオスカルは何とドレス姿!アンドレと寄り添っていてパチンコCRベルばらの夢のオスアンツーショット(マニアックすぎる)の先駆けよ。

それに理代子先生もオスカルがドレスに身を包むのは特別な意味がある

とのお考えなので、フェルゼンのためにただ一度だけドレスを着たオスカルの切ない女心は原作読めばどんなノータリンでもわかるだろうがと私は思ってしまう。

ご贔屓様がドレス姿で登場したとき各席がすごいじわだったと植田先生も仰ってます。原作でもその美しさに皆がため息を漏らすのですからそうでなくては⋯

 

フェルゼン編のフェルゼンの性格は昭和とは比べ物にならないくらい劣化していて間抜けすぎてホントに植田先生を蹴飛ばしたくなりますが、

それでも王妃様がいないベルばらよりベルばらなんです

馬が飛んじゃうのよりマシです

 

ぶっちゃけ、すぐ脱獄できそうな韓国時代劇の牢屋の柵みたいなコンシュリジュリーの場面何か私は

2013年まで一度も泣いたことないです。欠伸の連続で早くフィナーレいかんかい位に思ってました

そのくらいどっちらけなホンだと思っているのに、王妃様のいないオスカル編よりずっとマシだと思うのです