本日はフランス革命記念日です

フランス革命といえばフランス国歌ラ・マルセイエーズですね

 

立て祖国の子らよ

栄えある日は来た

祖国を我らにいざ戦わん

栄えあるこの日のためいざ戦わん

 

私の妹は「ベルばらのロケットの曲だと思ってた」と言うし

ルドルフ皇太子は「ご存知ですかラ・マルセイエーズは心のワルツと言われています」と言い

ヅカのバスティーユ戦闘ではこの曲をアレンジした曲が流れ、オスカル様が絶命直前、アランがバスティーユに白旗があがったことを告げる時もこの革命の歌が流れています。

 

原作では被弾したオスカルを庇ったアランも腕を撃たれ、

オスカルは「攻撃を続けろバスティーユはあと少しで陥る」と指示

ロザリーがオスカルの手当てをしようと駆け寄ります

オスカルは自分を抱き上げているアランに「もう下ろして」と言います。

ロザリーは「だめぇぇぇ!」と叫びながら心の中でアンドレに「お願いよオスカル様を連れて行かないで」と懇願します

「アンドレが待っているのだよ…おろして⋯」そう言うオスカルの言葉に、アランはオスカルが死を悟っているのを感じ、涙ぐみながら彼女を腕からおろします。

オスカルはロザリーに「アンドレと私を同じ場所に…私達はね夫婦になったのだから」と告げます。

オスカルは被弾の痛みにアンドレに「お前の耐えた苦しみなら私も耐えてみせよう、アンドレ死はやすらかにやってきたか、おおアンドレ私が臆病者にならぬよう抱きしめてくれ」と語りかけます

そこでバスティーユに白旗が上がったのをアランが告げます

バスティーユの白旗を見て

自由、平等、博愛、人類の崇高なる理想の第一歩を見届けたオスカルの最後の言葉は

「フランス万歳!」でした

(いつもの如く記憶だけで書いているので間違いもあるかもしれませんが、今まで各劇化の脚本家よりは読み込んでいるとは思うので)

 

オスカルが

「私は女伯爵の称号と私に与えられた伯爵領の全てを捨てよう」と言う台詞を胸のバッジを投げ捨てるぐらいに思っている人には永遠にわからないでしょうが、

原作の2巻にはオスカルが幼少期から父に連れられて領地視察に出かけていたことが語られます。ジャルジェ将軍は領地への責任をオスカルに教え貴族とは責任があるということを叩き込んでいたようです。

彼女にとって伯爵の称号を捨てることはその責任を捨てる事で非常に重いものだったはずです。

決して他者からの誘導でなされたことではないはずです。

恋愛が原因で表面的感情で寝返ったとも思えません

自らの責任以上に、崇高なる理想は重いという決断をしたからです

犠牲は伴いますがそれ以上に支配されない自由を求めて戦ったのです。

勿論最低限の民衆を動かしたのは本能的なものかもしれませんが

何ものにも支配されない自由をこの国の未来のために守り抜くのは大切なことだったのでは

 

軍人として父より鍛錬された彼女は軍人として散りました。

 

だから体のできていないオスカルはオスカルじゃない。

昔はマイク性能が良くなかったから腹から声を出さないわけには行かなかった。姿勢が悪いと声が出ません。

最近はマイク性能が良いものだから、そういうの気にしない演者もいるようですが、軍人を演じるときは気にして欲しい

腹から声の出ない姿勢がフニャっとした軍人なんているわけないんですから

 

オスカルはアンドレのことを

あたたかく心優しい男こそが真に男らしい男だから愛したといっています

はじけない落ち着いた佇まいが安心させてくれるとも。

なので、いくら忠実な従者といえども彼女が甘えられる大人の存在であって欲しいです。

どうもツバメ思考の人が多いのは納得できません

やくのひじゅうから?よくわからんけどセンスなさすぎ

私が良いと思ったオスカルの隣にはいつも大人の役者がいました。

だからちなドレ(ひつこい)

 

劇化の全てが昭和花につながる美しすぎる

 

原作通りの細腰綺麗な鼻梁大きな瞳

 

 

流石集団芸の雪組全員アチチュードの足が上がってます