と家族が聞くので
「それはファンタジーだから」
と答えて置きました。
実際は、道長は風邪ひいても大事取って出かけないくらい用心深い人なので、
運もあったと思いますが、ヤバイと思ったら出歩かない人だったみたいで、目に見えるものには豪胆な行動でも、目に見えないものにはとても慎重でした。
日記に風邪ひいたよとか、方角悪いよとか、いちいち書いていて、気にしいだった様子も見られるようです
悲田院に行ったまひろは感染して、登場人物の道兼以外の他の人間は感染してない。道兼は感染後死んだのに、まひろは死んでない。
その差が道長の「死ぬ気がしない」というセリフが伏線なんでしょうけれど、それって都合良すぎ美内すずえのアマテラス並にご都合主義過ぎ(誰もわからんたとえはヤメレ)
基本、作家はご都合主義的な、それとわかるセリフを書かないのが作家の腕だと思います。
まあでも紫式部も雨夜の品定めで明石の君のエピを入れ込んでいるけれど、伏線なんだそうけれど時系列狂ったかと思うほど不自然ですし
私がファンタジーとおもうのには、やはり陰陽師の扱いですかね
当時の人間が怨霊や魔物を信じていたとは言え、
真面目なドラマとして編む場合は、もそっと現実的でないとアニメよりの娯楽作品みたいになってしまう、
永井路子氏や円地文子氏は超常現象に頼った作劇にしてはいない
陰陽師が魔法使いみたいな超人的な描き方だとドラマが面白くないと思ってしまいます。
陰陽師は超人ではないですよ
今後の流れも今は民の幸せを望む道長が。
高潔さを失い俺様満月男になっていくのを描き、
まひろは、民のためになにかできないか模索...みたいな展開なのかな
だとしたら、あまりに既視感ありありすぎて
紫式部は、そんな事考えなかったと思いますけれどね
当時の民衆もそういう考えに至らなかったと。
毎日の食い扶持を得ることに忙しく、その事のほうが彼らには、重要だったはず。
民衆を描くとき、現代と確実に異なるのはそこですが、作家がそれを失念することは珍しいことではないです。