仁とあさきゆめみしについて書きましたので

 

ベルばらについても書こうと思います

ベルばらは様々の媒体で劇化されています。

世代によって思うところは違うでしょう

私より上の世代は原作先行で

私より下の世代はアニメ先行かもしれない。

私は原作世代には一目置いています。そりゃ当然です。彼女たちの青春の大切な1ページですからね

 

先日、妹に

「オスカル様がフランス万歳と言わないでバスティーユ終わるってどう思う?」そう聞くと

「そんなのありえない」

と一刀両断。(妹と同じこと思う人が大半と思います)

 

まーそうはいっても映画とアニメはフランス万歳ないけどね

作った人同じだから。

どんなにぼこぼこの脚本でも

オスカル様はフランス万歳で最期じゃないとベルばらじゃないと思ってしまう。原作世代に爪の先が引っかかっている私は思ってしまうのです。

オスカル様は革命に身を投じたのは愛するフランスのためだから

そうでないとオスカル様じゃない。

 

ま、そんな感じで知らない人はたまげてしまいそうな過去の遺物もあるのでそれを言い訳にしているわけではないですが植田先生の方が↑の衝撃に比べればそうとうマシに感じてしまう私。

映画とアニメに関してどう突っ込み入れられようと↑で終わります

作った人が同じなので発想が似るのは仕方ないけれど、映画もアニメも平民の恋人を持ったから革命思想に感化されていくのが加速って...ね

どっちもアンドレはオスカル様を案じて撃たれるのではなく、流れ弾であっけなく死んじゃうし(ヅカは粘り過ぎではあるが)同じ人が作ったから。

 

理代子先生は執筆された時代、女性の社会進出が今ほどではない時代に能動的に生きる意思的な女性の姿を意識されていたようです。ー「」

オスカルというスーパーヒロインが自分で選び取り切り開いていく人生。そしてそのために必要だったアンドレという常に彼女を気遣う心優しい存在。学生の頃読んだツヴァイクの小説に描かれた王妃アントワネットのアンシャン・レジームを象徴する生き方。それらについて植田先生はよく理解してくれたそれが嬉しかったそうです。

「植田先生は戦友みたいなもの」

そう言われると何も言えません

じゃあなんで映画とアニメを同じ人物に任せたのか

当時日本人での映画化も話があったそうです。栗原小巻のアントワネットに山口百恵のオスカルとか。理代子先生は滑稽だと思って、笑っちゃたそうです。全員外人で海外でと希望したのが「ハリウッドでやりたいなんて生意気だ」と言われたらしいです。

それを実現させたのが山本又一郎氏。当時の日本映画最高額10億円の予算も破格で国際的浪費と揶揄されたほどです。

オーディションには理代子先生も参加したそうです。

なんとドミニク・サンダがオスカル役という話もあったそうですがスポンサーの資生堂が30代という年齢に難色を示したのと、ドミニクはやる気だったらしいいけれどあれだけ国際的スターだとエージェントの相場が高額で予算的もムムムだったらしい。

実際オスカルが死去したのは30代、なんで駄目って感じ。

それに加えてドミニクが演じると文芸調の重たいものになる懸念もあったらしいです。

脚本に不満はあったみたいですがせめてと自分で字幕を翻訳されたそうです

でも当時日本映画としてああまで頑張ってくれたことは山本氏に感謝されてるみたいでそれでアニメも、おまかせしたと理代子先生はおっしゃってます

 

そんでもってアニメは見てないとな

なんと目が疲れるからと全く見てないそうな

 

アニメはオスカルがアンドレに感化されていくのがなんだかなでしたが

マッチョな思考で回ってるというか、ゴツゴツした絵の男臭さとか

 

最終回畑を耕しているアランのことを知人から聞いた理代子先生は

「そりゃないぜ」

と思ったらしく続編書くことにしたそうな

「アランには軍人として全うして欲しかった」

私それ聞いて意外だなと思ったけれど

とどのつまり、少女漫画のロマンは死守したかったんだなと思ってます

私や原作ファンはフランス万歳を言わずして亡くなるオスカル様の最期ってどうなのと思いますが

 

理代子先生はそれでもアニメのことも映画のことも「おまかせした以上どうなってもこうしろとは言わない主義」らしく植田先生にもんくいわないはずよね(笑)

 

 

韓国ではヅカの悪いところを見習われてしまう最悪の流れですけれど

理代子先生はなんにも文句言わないと思います

あっけらかんと「韓国語わかんないし」とか言いそう

続きます