レイディマクベス 配信視聴

 

ホンが弱い。

多くの観客が種本であるシェイクスピアのマクベスを知っているとは思うが

種本がわかる者に対する仕掛けらしい仕掛けもなく、こうするのねの意外性もない。

それに加えて、訳が悪い。翻訳臭さが生きるならまだしも、オチに関する訳がアレレで、このことをこのカンパニーの誰も是正できなかったのは謎すぎる。

 

出演者の多くは映像で真ん中に近い立ち位置にあるので、豪華って言えばそうだけれど、なんだか2時間ドラマを観ている気分になる。

それは配信だからだろうと思うと、この空間にいたかったと残念に思った。配信ではテキストはわかるが空間の空気はわからない。

 

幕開、娘の語りから始まる。

何故娘が語るのか、「歴史は生き残ったものが遺すもの」という陳腐過ぎる台詞を語る娘のその皮肉な悲しみにつながるようになっている。

私は「歴史は勝者が作る」というような台詞を書く戯作者は嫌いというよりよほど言葉のセンスのないバカと子供の頃から思っているので、このセリフが心に引っかかったが、多くの観客はどうだろう

このセリフが望まざる勝者の頭に嵌った孫悟空の金の輪のように感じるようにつながっている

 

観て一番感じたのは出演者のなかでこの戯曲を一番理解していたのはアダム・クーパーだということ。彼は第一言語で作者や演出と話せるのだから当然かもしれない。

彼の台詞は仕方ないが下手だ。

しかしおさえねばならない部分の芝居は一番伝わった。

妻を愛しく思うのも娘の唯一の愛の供給源であることも伝わった。

娘は親の愛を求めているが母に拒絶され、父の優しさに子供らしい安堵を見せる。だから娘にとって父は大切な存在なのだ。母は自らの出世を阻んだ娘を疎んでいるから娘は親の愛を父からしか受けられない。

 

出世を阻む子を母が疎むという何とも使い古されたテーマに間が持たない。

 

役者のせいではないホンが弱くて訳が悪いのだ。

 

吉川愛は色んな意味で心配だった。映像の人であるし経験が違いすぎる中で埋もれるのでないかと

綺麗なのでアイドル的子役のイメージが強かったが台詞もよくわかるし美貌で、あの華やかな親から遺伝子をもらったこともしっくりくる。意外に狂言回しとして間がもってぃた。

 

ゆりちゃんは全く気の毒。とにかくホンの特にどうしょうもないところを担っているので客が白けていたのではないか

 

鈴木保奈美は女として難しい役の経験もあるのでこういう鼻につくような女の出世という匂いのある空間でも悪目立ちしない。

 

開幕後娘の独白後の一幕が間が持たず退屈だが2幕以降ようやく動きが面白くなったように思う

 

最後にオチの訳について

これは普通のマクベス上演でも当てはまるが

マクベスが三人の不気味な魔女から

「女から生まれた者(one of woman born)にはマクベスを倒せない」と言われる。

気が弱く怖気づきがちなマクベスにとって、この予言は強い励ましになる。

 

この部分は日本語上演では

「女の股から生まれた人間はマクベスを倒せない」

と訳されることが多い、というか適切であると私は思っている。

翻訳物は台詞とその後の展開に齟齬が無いように言葉を選ばねばならないと思うからだ。one of woman bornとはすべての人間が当てはまるが、マクベスはマクダフに倒される。

 

マクダフは帝王切開で生まれており「女から生まれて」はいるが「女の股からは生まれて」はいないからだ。

 

本公演は「女の腹から」と訳されていた。

 

古い英語表現では bornは自然分娩を意味するらしい。英語圏ではその二重の意味のニュアンスがわかるかもしれないが日本語ではまるでわからない。

英語の古語表現に照らせば「女に産み落とされた」が適当かもしれない。「女の股」も「女に産み落とされた」も産道を通ったと理解されるだろうから

 

本公演の「女の腹から」は致命的に良くないと私は感じた。

本作品の肝に関わり、

大詰のオチにつながる重要なものだからだ

 

本作は私が久々にチケッティングに参加した作品。とても期待していたが惨敗。桁違いのスーパースターがゆりちゃんと共演するのでは仕方ない