そんなこと説明するまでもなく、ヅカファンは熟知しているでしょうけれど、
先日妹に
「モーツァルトってどこの国の人?」と聞かれたので
「それはいまだ決着のつかない話らしいよ」
「何で?」
「とこまでがドイツでどこまでがオーストリアか難しい問題なんだよ、昔と今では国の大きさ変っているし」
「へええええ」
亭主も妹もこんな感じ
わたしだって小学生の時にシュテファン・ツワイクの「マリー・アントワネット」を読んで
強国と書いてあるオーストリア
家にあった地球儀を見たら、めっちゃちっちゃい
この濃い緑色の処だもんちっさいよね
でなんで強国???みたいな疑問ありました
で、ヅカファンがよくく知る頃のオーストリアはこっち↓
この少し前、てるねねがオーストリア・ロートリンゲン朝の君主だった頃はもっと大きかった
ハプスブルグの宝剣の頃ですね
でベルばらの直後くらいに
神聖ローマ帝国はオーストリア帝国に移行
「幸運なオーストリアは結婚します」
ミュージカルエリザベートでのゾフィ皇太后の言葉ですが
王権が強くなって、教会の権威が形骸化、誰を神聖ローマ皇帝にするかでもめていた頃
ハプスブルグのルドルフがいいだろうって話になる
たいしたことのない田舎の領主で権力振りかざしたりしないだろうからってことで
多産のハプスブルグ、いろんな王族と一族の子供たちを結婚させていく
昔のことだから、流行病とかあると皆死んでしまったり、子供も育たなかったりして跡取りが死んでしまった王族と
ハプスブルグの子供が結婚していると、もう他に世継ぎがないってことで
棚からぼたもち的に領土拡大していったことを指すんでしょう(ざっくりしすぎ)
しかーし、ねねちゃんマリア・テレジア、マリー・アントワネットのママですね、
この人のパパ、カール6世は男の子が成人しなかったため、娘にハプスブルグ家の相続をすることを諸国に認めさせるために結構領土を手放したんですよ。
それで、ドイツのフリードリヒとマリア・テレジアを結婚させようとかしたんだけれども
マリア・テレジアはロレーヌ(ロートリンゲン)公国のフランツ・シュテファンを好きになって結婚
この小さい田舎の公子は事実上婿入りみたいなもので、エスターライヒ女公は嫁さんだったから、神聖ローマ帝国の皇帝とはいっても、実際の君主は嫁さんでした
でもその頃はまだエスターライヒもでかかった
このあたりのことはラ・セーヌの星に詳しい
そして韓国MAが驚愕のラ・セーヌの星展開だったことには脱力しました(笑)
しかーしナポレオンの侵攻があってイタリア方面を失い
平たく言うとフランス革命の余波で、形骸化していた神聖ローマ帝国は本当につぶれてしまったわけです(超ざっくり)
そしてマリー・アントワネットの兄弟の息子フランツ二世(ナポレオンの皇后の父、あーちゃんのパパ)はオーストリア帝国の皇帝となります
それでも↑のように国はデカかったんです
そうでなければ
「誰もがうらやむプリンスの妻」とシュテファニーが言うほどの国じゃございませんことよ
オーストリアは国の形成が婚姻政策での拡充ということもあって、多民族国家みたいなもの、ドイツ系が首都付近は多勢とはいえ
いろんな人種が入り混じった国だったわけです
ここで育ったのかミツコ・クーデンホーフの息子のぞむんリヒャルト
彼の思想はルドルフが目指していたドナウ連合に近く汎欧州を目指しました
現在のEUの元ともいわれています(ざっくりしすぎですよ)
リヒャルトがモデルになったのは「カサブランカ」のまゆさんラズロ
とここまでヅカとヅカ関係のステージ見ていれば
エスターライヒ(オーストリア)の近代史も少しはお勉強できますね