先週末、購入しました。企画展で上京していた細川貂々さんにもお逢いしました。『タカラヅカが好きすぎて』の原画展のとき以来でしたがますますお綺麗になられてまぶしかったです。

 

そのとき、母とムラで星組公演を観た話をアツ~ク語ってしまったので、母と仲良し親子って思われたかも知れませんが、どちらかというとわたしと母も相性あわないほうです。喧嘩するし。一触即発でわたしが耐え切れずに爆発すること、多いんです。妹のほうが母の無理難題をするっと受け止めてやりすごします。わたしはイチイチかちんと来て爆発しちゃいますね。

 

子供の頃の家庭科のエピソード、同じだぁと思わず笑ってしまいました。中1の夏休みの宿題、エプロンだったかなぁ、わたしが必死になって縫っているのに母が横からとりあげて、さっさと縫ってしまったのです。

いいのかなぁと思いつつ提出したら、先生はわたしには何も云いませんでしたが、母が叱られたそうです。お子さんにやらせてくださいって。大人になって母から聞きました。

 

子供の頃から高校生くらいまで虚弱で、しょっちゅう病院に行っていたわたし。ぜんそくの前触れの「ヒュー、ヒュー」という音を聞くと身が縮んだと母は云います。「また一晩中寝られないんだ」って。

そして「カラダが弱いから」となんでも先回りして母がやってしまっていました。なので二十歳になって上京して一人暮らししなければ、わたしは相当ダメ人間になっていたと思います。一人暮らしのきっかけも、本当はムラの某所に住み込みで働きたい、と云ったから。関西よりも親戚のいる関東にしなさいと。そのきっかけがなければきっとずっと実家で全部母に頼って、母もそれを普通に思って生活していたでしょう。

 

ぜんそくのときはあおむけに寝るよりも、座ってなにかにもたれていたほうが呼吸はラクなのですが、母は「具合が悪いときは横になっていなくてはいけない」という思い込みから、「なんで起きるの!寝てなきゃだめでしょう」と云うのです。子供ですから起きていたほうが楽だという説明がうまくできず、また母も喘息の特徴についてわからず、かくして一晩中ぐずるわたしとそれを見守り寝られない母、という状態がよくありました。後に大人のぜんそく患者さんからもたれかかったほうが楽だというのを聞いてようやく横になりたがらない理由がわかったそうですが(^^ゞ「なったことないからわからなかった」と(笑)

 

今は、年老いた自分のカラダと、若い時のままの気持ちのギャップに嘆く日々。「できなくなったことを数えるより、できたことを数えようよ」と云うと、「この年にならなきゃわからないのよ」と云われてしまい、それではわたしも母と同じ年にならないと何も云えないじゃない、と喧嘩になっちゃうんです(^^ゞ

 

そして親の立場にたってこの本を読んだときにもどきっとするんですよね。娘にとって自分はどんな母親なんだろうって。あまりいい母親とは云えないなぁと反省する日々。

 

一番肝心要な幼少時、3歳から7歳までの4年間、当時自営業だった夫に保育園やPTAのことをまかせて都内で仕事をしていたあの時期。あの時期があって今の娘なんだろうなぁと思うことがあります。その時期にきちんと向き合えていなかったから、今、こうなっちゃったかなって思うのです。欠落したその部分をどう埋めていったらいいかなって。過去は変えられないからこれからをどうしていったらいいかなぁと試行錯誤の毎日です。仕事面ではいいんですよね~。それは認めるんだけども。。。あ~もどかしい。

 

母と娘、父と息子、同性の親子関係って難しいですね~。