前回の記事にいつもより多く反応を頂いて驚いた。20%くらいの力で書いたんだけど、私の場合それくらいの意識の方がいいのかもね笑
このテーマは最近ずっと考えていて。
一度書いたら怒りが湧いてきてボロカスに書いて長くなってしまったのでボツにした。
何回か前のスケジュール管理の会で、私がひと月で4冊の本を読んだと報告した。
そしたらある受講生の方から「羨ましい。自分はできてない」みたいに言われた。
…と、自分では聞こえたんだよね。もう数ヶ月前のことだし、ご本人的には違ったかも知れない。
なので、この記事はその方のことを直接責めてる訳ではないです。私がそう聞こえてしまって、そのことに付随していろいろ思い出したことに対して怒ってるだけです。
Aikoさんも記事で書いてくれています。学びになるのでぜひ。
私は人から「羨ましい」とか「あなたはいいよね」と言われることがたまにあって。
あとは「〜〜さんって、あなたには特別に態度が違うよね」「◯◯さんはあなたのことが好きだよね」とかもたまに言われます。
〜〜さんは上司だったり、セミナーやワークショップに行った時の講師とかね。
Aikoさんについても言われたことあります。
「Aikoさんはさなちゃんには対応が違うよね」って。
多いのかはわからないけど、まあ両手で収まるくらいかな。私にとっては不愉快な出来事なので、誰がどんな状況で言ったかもよく覚えてる。
これが本当に嫌で。捻り潰したくなるほど嫌悪してた。
こう言う風に言われないように気をつけたりもしてた。
でも、病気になって退職もして。人と関わることも極端に減って言われなくなった。
そうだよね。言われるわけがない。
スケジュール管理の会はもう3〜4年くらいは受けてて、毎月参加してる。
私が最初に適応障害を診断されて休職した直後も、かなり脳の機能が低下してて人の話が途切れ途切れに聞こえるとか、会社からの書類も上手く読めないという話もしていたし、体調が芳しくない時は画面をOFFにして参加させてもらってる。
うつ病に移行していたことや、最近は隔週に一度の通院とこの会に参加することくらいしか予定は入れず、2〜3日に一度ほどしか外出できないことも話してる。
1日の半分から3/2くらいは寝たきりで、トイレに行くのがやっとで、食事も一日に一食をなんとか食べる感じだとも言ってる。
医師からは「家庭生活で手一杯。就労までにはかなりの準備が必要」との診断を受けたことも、その他にもここには書けないことも話してる。
それでもなんとか自分にとっていい形で社会復帰したいと思って、できる時にできることを少しずつやっている。
ほとんどを横になって過ごしてるけど、それでも横になりながらでもセミナーに参加したり読書してると話した。
そうして、できなくなったことが多く、報告できることがない中でなんとか絞り出して本を読んだことに対して冒頭のように言われたように思ってなんとも言えない気持ちになった。
全く話も聞いてないし、全く理解もされてないと思った。
そして、こんな状態になってもまだ羨ましいって言われるんだと思った。
不愉快だったので、いろいろ調べたり思い出したり考えたりしていた。
まず「羨ましい」という言葉について調べた。
「その人になり変わりたいという考え」のことで、言葉自体にネガティブな意味はないようだった。
類似の言葉として「妬ましい」があり、これはネガティブな意味があるようだった。
前に「私にとって羨ましいという言葉は嫌味を言う時に使う」とツイートしたら、こうじさんに面白がってリツイートされてしまったのだけど笑
自分にとっては「羨ましい」という言葉を嫌味に使うものと定義して人に言ったりはしないから、自分が言われると嫌に感じるんだろうなあと思った。
ただ、リブログしたAikoさんの記事に言われた方もあまりいい気持ちがしないと書いてあるのを読んで、私の感じ方がおかしいわけじゃないんだとほっとした。
他にも調べてみたら同様のケースを見たので、私だけじゃないんだとも思えた。
でも、なんでこんなに嫌なんだろうと思った時に、古い記憶を思い出した。
小学校5、6年くらいの時に、母から母の子ども時代の辛かった話を聞かされたんだよね。
母が子どもの頃に、父(私の祖父)から「男が生まれたら良かった」と窓から投げられそうになったとか、家が困窮してた時に3つ下の弟は親元で暮らしてたけど、母だけ親戚の家にしばらく預けられたらしくて。
小学校の入学式も親が来なかったと。
だから、小学校の入学式で両親を写真を撮って、自分の家に帰れるお前が羨ましいと思ったって。
それが私の「羨ましい」への嫌悪の始まりな気がするな、と。
それを言われた小学生の時の気持ちはあまり思い出せないけど、お母さん可哀想だなとか、自分に対しての罪悪感みたいな気持ちがあった気がする。
今振り返ると、そんな11〜2歳の子どもにそんな話すんなよと思うけどね。
じゃあ産むなよとも思うしね。知らねーしみたいな。
特別だともよく言われてたね。
長子だったし、母方の祖父母にとっては初孫だったので、特別なようだった。
母方の祖父母の家に曾祖父母の写真が壁に飾ってあったのだけど、その同じ高さのところに私の写真が飾ってあって。
その後生まれた叔父の子(私のいとこ)が、幼い頃から「あれがさな姉だよ」と言われて育ってた。
だからかね、なんかこんな堂々としてんの笑
なんでこんな状況の癖にこんな堂々と喋ってんだろと思うことがある、自分で笑
周りから「怖い、近寄りがたい、何考えてるかわからない」と評される上司と仲良くなって破顔させるの得意だったしね。
話ズレたけど、まあそんな感じだった。
学生時代は特に言われた記憶がないね。
社会人になってから言われることが増えたかな。
何に対して羨ましいと言われるかというと、特別扱いされている、意見をはっきり言えるとかが多かったように思う。
そう、これもね腹立つんだよね。
「私が言えないことをはっきり言える」とか「素直に自分を表現できる」とか。
「羨ましい」「あなたはいいよね」みたいに言う人はそこに嫌味や妬ましさが滲んでるんだけど。
時に「意見をはっきり言えてすごいです!」みたいに、たぶん嫌味じゃなく言ってくる人もいて。
でも腹立つんよね。
前職で先輩に「あなたは自分を素直に表現できていいよね。私はずる賢いから」みたいに言われた時は、
いや、8年もこの仕事やってた癖に後から来たやつに一年で抜かされたら、俺だってお前みたいに外では黙って、裏で不倫相手の上司に事後に俺の悪口言ったり、仕事の情報聞いたりするかもなと思ったし。
後輩から「意見をはっきり言えて尊敬します!」と言われた時は、
お前みたいに進学校良い大学出て英語も話せて、新卒入社して会社から300万かけて育ててもらったくせに全然仕事できなかったら俺だって黙ってるわと思ったよね。
別にお前らの行動間違ってないから自信持って黙ってろよみたいな。
研修とかセミナー、ワークショップとか受けに行ってもさ、受講者の人たちから同様のこと言われたり、あからさまに嫌な態度取られたりするけどさ。
終わった後に主催者の方から個別に声かけられたり、アシスタントやって欲しいと言われたり、「あなたがたくさん反応してくれたから話しやすかった。ありがとう」と言われたりしてんのよ。
マチアプで研修医の人とマッチングして話してた時に、私のセミナーや授業の受け方を聞いたら「俺も看護師に勉強会開くことあるけど、そんな人いないよ。さながやってることはすごいけど、サービスを受ける側なんだからそんなに気を遣わなくても良いんじゃない」って言われるよ。
要はさ、人のことを羨ましいとか妬ましいとか、この人が得られてるものを私は得られてないとかってよく思う人はさ、視野が狭いのよ。
自分が見えている狭い範囲のことが全てだと思って、それ以外の物事が存在してるということがわからないんだろうなと。
想像力があんまないのかなとも思うね。
あとは、メタ認知能力も低いのかな。
私からしたら、できることが極端に減った中で、それでもなんとか本を読んで自分を立て直そうとしてることとか。
大卒でもなく派遣から入社した会社で正社員に上がって部内一位を取るまでにどれだけの努力をしたかとか。
そんなことは全部無視して、物事の表面だけを見て嫌味ったらしく「羨ましい」とかほざける神経が羨ましいし、そんなこと言えるなんてすごいと思うけどね。
どうしたら羨ましいって言われないかを考えて行動したりしてたけど、別にしなくても良かったかなと思う。
人は好き勝手に判断して言うもんだ。
そして、人は嫌いな人の成果は過小評価する。私が彼らを嫌いだったように。
何をしてもしなくても、こんな状況になっても言われるんだから、もう仕方ないんだなと。
「わあ、かわいそう〜」と憐まれるよりは、嫉妬される方がマシかもね笑
受け入れられはしないけど、ほかっとこうと思う。
くだらないことだからね。
そして、私も一生懸命人の話を聞いたり、理解しようとするのはやめようと思った。
もうカウンセラーや占いとかの対人援助の仕事する気ないしね。
人は見たいように物事を見る。
それは他人にはコントロールできない。
くだらないので、自分のことに集中しようと思う。