親子関係を難しく思うところがあって。
最近特に振れ幅が大きくなってた。
つい先頃も、ひどく滅入ることがあって、片付けることを片付けて早々に寝たのだけど。
子が◯◯なのは子のせいじゃないし、親から見て◯◯に見えるのは親の見方の問題がないわけでもなく。。
親側としては、そっくり相似の関係である自分自身の親と自分の親子関係のあり方に、そもそもの端を発しているとしても不思議ではないことで。
そして結局それを解きほぐして昇華できるのは、最初に問題が生じた関係を通じてなんだよね、つまり私と母の関係だ…と薄々思ったりなんかしていた。
なんて、色々思う日があれば、そんなこと何も一切思わない日もある。
調子が良ければ忘れるし、悪ければしつこく引きずる。
ただこの場合、良いのはどっちなのだろうか?
忘れてまたぶり返すことか、しつこく再発した末にいつか遂に解消することか。
もちろん、どう考えても後者。
ただその途上にあるに過ぎない。
幸か不幸か、ていうか、自分は元々、どっちかというと社会で活躍より、家族と過ごす縁の深い?青写真なのだろう。ここ10年ばかり母兄と共に働いてる。
酷く滅入った翌日、なんでか。
たまたま母が株式市場の話をしだして、そこか、再定年後の父の変化やら工夫やら、他愛のない話となり昼時となり女子力高めなランチに行き、、、
その途中あたりから薄々と、いつもはあまり意識しないことに気づいた。
何か形のあるものでも、明確なものでもないのだけど。
一つは、前日に息子のことで滅入ってた翌日の、相似の私と母の関係の動きが、穏やかでなんだか優しいものだったこと。
一つは、母も私も現在の関係が常態とは考えておらず、それはいつでも良くもなるし悪くもなりうるもので、今のまぁ仲良く過ごせる状態はありがたいものだと認識していたこと。(悪化:例えばお金の問題が絡んでくるなど)
それから、そこはかとなく、そこにあった、母の存在感。一緒にただ時間を過ごすように、ランチする
だけで。当たり前っちゃ当たり前なんだけど、そこにどんな構えや緊張もなくて、フラットな母がいて。一緒にこうしている、てことがただそれだけで意味があることのような。愛情表現や気遣いというほどの何かではなくて、ただ空気を共有する、その程度なんだけども。それがとても、良いものありがたいものに思って、その時間を味わった。
で、夕刻の仕事からの帰路。
昼時を振り返り。
息子のことで滅入りつつ、これって私の親との関係が下敷きにあるよね、なんて思ってたら。
その翌日、母とすごく穏やかな良い時間を共有していて、あれ?と思ったって、なんかすごいちゃんと展開してる気がする、と思ったりしてた。。
ら、その翌日、ほんとになんか、
息子とちょっと小マシに過ごしていて。
その翌々日は、母兄私で、なんかとても良い時間があった。
なんだか、これは、一繋がりで関係してるの??