月初、制服を返しに会社に行った。緊張感。

幸いにも同僚は笑顔でたくさん話しかけてくれたが、仕事を邪魔して申し訳ない気持ちで去る。

社長と専務に挨拶をしようと思っていたが、今回も外出中でしかたなく専務にメールを送ることにした。

(社長のアドレスは知らない)

今までの感謝の気持ちをこめて、きちんと打ったつもりだ。


夫が「福井県立恐竜博物館に行きたい。ここならみんなと行ってもいい。」と言い出した。

友人にいけるか確認を取って、急いで宿を調べる。この時点で確か1ヶ月を切っていた。

各旅行会社のパンフレットを比較して、結局一番安かったじゃらんで決めた。


一日寝込んで飲まず食わずの日となんとか詰め込んで夕方から動く日と。

会社を辞めたといった診察日、エビリファイから就寝前に飲むリスパダールに変わった。

これも効いてくるまで2週間ほど掛かるらしい。


一度どうしようもない不安感と希死念慮に襲われて、残っていたベンザリンとアモキサンとメイラックスを全部飲んだ。やっと2時間程寝られた程度だった。

医師に言うとさすがにそれはよくないと言われ(当然だが)頓服用にもリスパダールが処方された。

だが処方箋には「イライラする時」と書いてある。

日本語とは不思議なものだ。

「またそうやって何かしら飲みたいときに飲んでくれたらいいから」と言われた。


旅行前日は早めにお風呂に入り早めに薬を飲んだ。

友人が「起きられなかったら私が行って担いで車にのせてあげるから!」と言ってくれて、なんだかうれしかった。でもほんとにそんなことは出来ないので、注意深く準備して翌日に備える。


翌日はなんとか夫に起こされて、準備が出来た。薬が残っている感はあるが、エスカップで乗り切る。

レキソタンと水もしっかり持った。2,3時間置きに飲めばなんとかいけるだろう。


しょっぱなの事故渋滞で早速出足が鈍ったが、迷うことなく恐竜博物館へ。

駐車場から満車という大変な人混みだった。それまでも3時間置き程で飲んでいたが、すかさずレキソタン。

お土産を買おうかと思ったが店外まで溢れる行列を見てあきらめ、次の永平寺へ向かうことにした。

途中のお蕎麦屋さんで遅めの昼食。

昔の大衆食堂みたいな雰囲気なのに蕎麦はもちろん美味しく頼めば蕎麦湯も持ってきてくれて、コーヒーも無料でサービスと、ちょっと一風かわったお店だった。

そして永平寺。拝観料が500円と書いていてぼったくりかと思ったら、とんでもなかった。

修行僧たちに磨き上げられた美しい階段から始まり、素晴らしい天井絵や幾多の年代物の建造物、ドキュメンタリーのテレビ番組放映と、とっても濃い内容。

久しぶりに行ってよかったと思えるお寺だった。ところがお寺を出ようとした途端まさにバケツをひっくり返したような土砂降りの雨。テレビ番組を途中で切り上げたのが悪かったか。

おかげでここでもお土産屋さんに寄れなかった。


そこから30分程で、山中温泉のある旅館に到着。

囲炉裏・茶室つき、トイレも2つの広いお部屋に通され、夕食までしばし休憩。

食べきれないほどの料理に舌鼓を打ち、(なんと残った釜飯を仲居さんが気を利かせておにぎりにしてくれた!)そのあとはめいめいお風呂や休憩やテレビなど。

翌日に備えて早めに薬を飲む。が、案の定目は覚めれど体は動かず。

朝風呂に入るのにいつまでもぐだぐだとしていた。

そしてまた食べきれないほどの朝食。


チェックアウトしてからは山中温泉街をうろうろ。だめだな、旅行記になってしまう。

それからは、名物のお饅頭屋さんとパラダイス的なお土産屋さんと2件寄り、また渋滞に巻き込まれながら帰途に着いた。


それ以降は習い物に行ったり、友人にお土産を渡しに行ったり、近所の夏祭りに妹家族と行ったり、父の代わりに国民健康保険の支払と限度額証明書の再発行・返金依頼に行ったり、ハローワークに行ったり、父と弁護士事務所に行ったり、という以外は臥せる毎日。

しかし、通院日には医師に「笑顔が爽やかになりましたね」と言われ、友人からは「声が爽やかになった気がする」と言われ、本人にあまり自覚はないのだが、リスパダールが効いてきたのかと感じていた。


効き目がいいな、と感じたときに副作用は思わぬ形で現れる。

乳汁が出た。

以前のドグマチールもいいなと感じたときに乳汁が出てストップになった。

このままでは生理が止まってしまう、高プロラクチン血症とやらになってしまうのだそうだ。


個人的には生理いらないから、爽やかな気分でいさせて欲しい…というところだが、医師としてはそうもいかないだろう。

今日の診察でまた薬が変わるかも。残念。


とりあえず、今日までの就寝前は

エバミール2T+アモキサン2C+リスパダール+デパス+プルゼニド(便秘用)

頓服はリスパダールとレキソタン。

PMS期にはプルゼニドだけだと全然なので桃核承気湯もプラス。


父は30日から再入院が決まった。

腹部の癌が前回の抗がん剤ではあまり効果がなかったようである。

通院保険はついてないから、1回3万超の出費だったのにもったいない。

今度はきちんと効いて欲しいが、自分と同じくこればかりはやってみないとわからない。


休むようになって、3週間経った。

これではいけないと思い、上司の一人に「お話しするお時間をください」とメールを送った。


そこで「お昼を一緒にしましょうか」という返事が返ってきて、会社の近くで食事を2人ですることになった。

すると、心配してくれたのか当日になって、同僚が「ご一緒していいですか」ということになり、総務課長も「ご一緒させてください」ということになり、ミスドで二人でお茶するつもりが、和食のお店でがっつり面談ということになってしまった。


総務課長は今までの経緯を何も知らない。

そこで私の病名・病状から、両親は離婚して母親は全くノータッチなこと・父親が癌で余命1年の宣告を受けていること・父親の借金・その借金のために弁護士にお世話になっていること・公認会計士の先生にお世話になっていること・税金等の滞納が100万近くあること・親戚への借金が100万以上あること・そしてそれに自分自身の体調が対応出来なくなってきている事など全部を話した。


そこまでを聞いた総務課長の問いは優しいものだった。

「そこで、佐奈さんはどうしたら一番楽になれますか」


「入院したい。」本音はこうだ。でも、出来ない。

「しばらくお休みを頂きたいと思います。パートなので休職はないとおもうので、一旦退職させて下さい。」

こんな風に返事をしたと思う。

「では、その意向を専務と社長に伝えてみますね」と言って、食事会兼面談会は終った。


夕方、総務課長から電話が掛かってきた。

「佐奈さんの言ったとおり休職は無理なので退職という形になるのですが、専務が体調がよくなったらいつでも戻ってきてくれたらいいとおっしゃってました。佐奈さんが感謝していると伝えたら「そうか」と笑っておられましたよ。」

いつもこの会社はありがたいなぁと思う。最初に退職したいと言った時も休職期間を特別に延長してもいいから考え直しなさいと言ってくれた。今でも帰ってきてもいいと言ってくれる。

事務手続きは担当者が帰ってしまっていたため後日になったが、その返事だけでもその日は充分だった。


だいぶと話すのにパワーが要ったのか、単にクーラーに負けたのか、翌日39.3度の熱を出した。

ロキソニンを飲んで、汗をかいて、平熱になるまで3日掛かった。知恵熱か。

事務手続きをしに、もう一度会社に行かなければいけない。

その時には皆になんと言ったら良いのか、どこまで挨拶にいったら良いのか、今はそればかり考える。

ひとまず専務と社長にはなんとしてでも感謝の気持ちを伝えないと。

こんな私でも雇い続けてくれた稀有な会社だ。



父は抗がん剤の副作用で髪の毛がほとんど抜けた。

思い切って散髪に行き、今ではすっかりスキンヘッドで過ごしている。

一緒に買いに行った黒いキャスケットは気に入ってくれたようで、毎日かぶってくれている。


債務整理を弁護士に依頼していて支払がストップしている分、金銭的に余裕が出てきたようで初めて家のローンを私の貯金ではなく、父自身の収入から払えた。

やっと実家と私たち夫婦の収支の分担が出来そうな気がしている。まだ少し気が早いだろうか。



先週の処方は、前回と一緒だった。

会社を辞めたと聞いたら医師はおどろくだろうな。でもきっと「それがいいかもしれませんねぇ」ともいうだろう。

毎日エバミール2Tとアモキサン2Cとデパスだが、最近は中途覚醒もしくは早朝覚醒が多い。

これがぐっすり眠れてしゃっきり起きられたら、いまのところいうことはないのだけれど。

仕事に行けなくなってから2週間が経とうとしている。


出勤したのは、1日か2日か。もう記憶に無い。




父は抗がん剤治療のため、2週間ほど入院している。


病名は「扁平上皮癌」に名前が変わった。


腹部に転移したがんは切除手術の可能性も出たが、形成外科・皮膚科等の総合判断で「切るデメリットの方が大きい」となった。


放射線治療で小さくしていく方針になる。どのみち、がんが消えるわけではない。


抗がん剤の点滴をずっとしているが、まだ父の頭髪はふさふさとしている。


体質にもよるらしいが、父にはまだ帽子はいらないようだ。






私はというと、やはり日内変動がつらい。


朝、なんとか起きて夫を送り出したあとはエビリファイを飲んでずっとベッドの中。


希死念慮と不安感にとらわれ、レキソタンを飲む。


私の存在価値ってなんだったんだろう。


出来ることと言えば携帯からツイッターにつぶやいたりするだけだ。




本気で今の会社を辞めようとも、15時ごろからのパートを探そうとも考えた。


朝の倦怠感がましになってくるのがそれ位の時間だからだ。


心配した友人がちょこちょこと電話をくれる。


「会社が辞めろというまで頑張って続けよう。それが引き止めてくれた人への恩返しだよ。」


そういってくれた。


もうそろそろ引き止めてくれた人も愛想をつかしているかもしれないけれど、彼の言うとおりまずは仕事にいけるようになることを考えようと思う。




夕方になってやっと動けるようになり始めて、日常活動と言われるものを行ってゆく。


食事・洗濯・掃除・お風呂。全て1作業ごとに一度ベッドに戻って横になる。


お風呂に入ることが一番つらい。


うつ状態の人たちのブログなどを読むと、皆やはりお風呂が苦痛だという。


体・頭・顔を洗う行程、乾かす行程、どれをとっても億劫だ。




そして夜。また不安な時間がやってくる。


エバミール2T+アモキサン2T+デパス。


一睡も出来ない日、2時間しか眠れない日、5時間眠れた日、と状態はまちまち。


1日2錠の計算で処方してもらっているレキソタンが底をついた。


PMSの過食も先月は無かったのに、今月はひどく桃核承気湯も無くなった。




今日は珍しく日内変動が軽めなので今少し動けている。


予約日より1週間早いが病院に電話して今日のうちにレキソタンと桃核承気湯を処方してもらいに行こう。

PCに向かうのも久しぶりだ。


最近、別件で少しPC作業をしたけれど、ネットで色々する気にはなれなかった。


父にガンの転移が見つかった。

腹部に二箇所。

ステージⅣ、完治の見込みは無くなり、抗がん剤による延命治療になる。

最近よく言われるようになったQOL(クオリティ・オブ・ライフ)。

主治医は抗がん剤治療を受けるも受けないも患者さんが決めてくれたらいいんですよ、と言った。

仕事もあり、入院費より少しでも多い保険金が必要な私たちは抗がん剤治療をお願いした。


一人で主治医と話した時「平均して今の状態だと1年というところです。」と余命を聞いた。

1年。1年で何ができるだろう。

普通の父親なら「好きなことをさせてやりたい」と思うのが子供の常だろう。

しかし私の心に浮かんだのは、1年でこの借金がどこまで片付くだろうということだった。


冗談半分で「もう2、3年か」とか「半年とか1年ちゃうやろな~ははは」と聞いてくる父に本気で答える気力がない。

「そんな話はしなかったよ」とごまかしたが、いつか本当のことを言わなきゃいけない。


果たしてこの人にこの現実をきちんと受け止められる力があるのだろうか。

その力があったら、ずるずると100万以上の社会保険料や固定資産税の滞納をしたり、親戚中にお金を借りて結局残高がいくらかわからないようになってしまったりしないのではないか。


離婚した母親に「余命1年だって。」と告げると「もっと早かったらいいのに。」と返事が返ってきた。

夫婦とは結局は他人と他人のつながりだ。


かといって、父親に死ぬまで働けというつもりはない。

好きなソフトボールも悔いの無いよう存分に出来るまでやって欲しい。

ただ色んな所に迷惑をかけているという焦りを持って欲しいのだ。

そうして迷惑をかけながら最期を迎えるという緊迫感を。


出来ることなら希死念慮をもつ私が変わってやりたいと思う。

私なら今ここで命がなくなっても悔いはない。

もうお金のかかる抗がん剤治療をせずに、誰の迷惑にもならないように身の回りを片付けて最期を迎えたい。

きっと想像もつかない苦しさだろうけれど。


そして父には、きちんと働いて自分の作った借金をきれいに片付けて、胸を張って生きていって欲しい。


今日は通院日だった。

実はここ1週間仕事に行けていない。

薬がエビリファイが無くなって、アモキサンを夕・就寝前に2Cになったのだがあまり効果はなかったようだ。

自分でも思い当たる原因はあるが、うつ状態がひどくベッドから起き上がれない日が続き、レキソタンを飲み続けた。

一度昼まで起きないつもりで、エバミール2T+アモキサン2C+デパス+レキソタン4Tを飲んだがしっかり4時間で目が覚めた。

「レキソタン4Tはちょっと多いですね」と医師に苦笑され、夕方のアモキサンを朝のエビリファイに戻された。


なんでもいい。

働かざるもの食うべからず。夫に申し訳ない。

とりあえず会社にさえいければ。

明日の朝に期待をしてエバミール2T+アモキサン2C+デパス。

ネットがやっと開通。

引越してから3ヶ月、時間があればネカフェにいけるがなかなかそうもいかず、いつの間にかピグの部活も外されていた感じ。

まぁ、しょうがないか。


父は咳き込みは続いているが、今のところ転移はないようだ。

抗がん剤の副作用で吐き気がひどく、食べられるものが限られてくる。

なので、いつのまにか食事はほとんど父が食べたいものを作ってそれを食べることになっている。

調理をしなくてもいいのは少し楽だ。


高額医療の限度額証明書が、確定申告をしていないがために最高限度額になってしまい、当初の入院費から15万近く割増され保険金を超えてしまった。かなり痛い。

反対に住宅ローンは、約2年延長してもらい月々の返済額が5万ほど減った。

連帯保証人になるためにとうとう実印を作って、あぁ今までで一番大きい額の保証人になったなと実感した。



病院は2週間に一度になっている。

色々なことがあるので、余り薬を動かさない方がよいとのことで、夜にアモキサンだけが追加された。


朝はエビリファイとレキソタン。

夜はエバミール2錠とデパスとアモキサンとレキソタン。


GW明けに耳が詰まった感じがするので、耳鼻科に行ったらメニエール病かもしれないと薬を4つ処方された。

メチコバールなどの末梢神経に作用するものばかりだ。


結果的には1日9種類薬を飲んでいることになる。

世の中にはもっと沢山の種類を飲んでいる人もいるが、出来るだけ薬の量はすくなくありたい。


GW明けから、体調が芳しくない。

思えば去年休職し始めたのもこのくらいの時期だった。

関係ないかもしれないが、ACの私には母の日がつらい。

「お母さんありがとう」が言えない。

でも言わなくちゃという強迫観念に駆られる。

やっと打った携帯のメールは「体を大事にしてね。」の一言だった。