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ある新聞のコラムに気になる記事が掲載されていた。

「文科省の英断を歓迎」

《子ども→子供》に統一するということになる

新聞では、「交ぜ書き」というと本来は音読みの漢字熟語を仮名交じりで書くことをさし、

和語(訓読み語)にあてはめて使うことを交ぜ書きと言う。

新聞から以下抜粋

『最も気持ち悪いのが、「子ども」の表記である。「子供」を「子ども」と書く交ぜ書きは特に、教育界や地方自治体で幅を利かせている。どこから引っ張った理屈か知らないが、「供」は「お供」「お供え物」の「供」だから、「子供」と書けばコドモが親の従属物のような印象を与え、コドモの人権が損なわれるというのだ。昭和時代の社会運動家、羽仁説子が「子ども」の使用を訴えたともいわれるが、このような理屈を恭しく奉ずる【人権派】の多いのには、呆れるほかない。もともと複数を表す接尾語「ドモ」に漢字の「供」をあてた「子供」は、今では「一人の子供」などと使われるように、必ずしも複数を表す言葉ではなくなっている。「達」がついていながら「友達」が複数とは限らないのと同じである。コドモは「子供」と書いてはじめて現代に通用する意味を持つ言葉となる。それを「子ども」と書けば、かえって子供の人権を傷つける結果となるのではなかろうか。「ども」は「野郎ども」「虫けらども」などと使われるように、複数の意と共に屈辱の感情までもあらわにし得る接尾語だからだ』

私は教育関係者の立場として、この記事に関する意見を言わせてもらえば、

日本語の使い方には、時代背景の中に生活習慣と共に風習が変化し

現代用語は流行言葉など新語が生まれる昨今、何をもって統一が必要なのか。

文字で表す意味を相手に伝える手段として、表記の仕方は自由でよいのではないか。

文科省では、あくまでも「省内限りのルール」と定めている。

私は、これからも「子ども」と表記し続けます