錬成会館と武相荘へ | 惣治の日々

惣治の日々

「悠々として急げ」とは彼の巨匠 親父の呟き
開高健に憧れ・・江戸和竿に魅せられ
回顧録を兼ねて綴る
4代目竿治 参乃治会 惣治 

昨日に引き続き、息子の剣道練習の引率というか、「足」
息子は大森2中の剣道部に所属し、また、近所で少年剣道を教えている剣道連盟登録の団体「東競武道館」にも所属しています。
今日は「東競武道館」と交友の深い日野市にある「全日本少年剣道錬成会館」との合同稽古への参加が目的。
この二つの団体は、いわゆる日本船舶振興会(現 日本財団)が支援(補助)して設立された団体のようです。

朝0700時に出発し、0800頃錬成会館に着き、息子と、東競の友達を送ったあと、
家内と二人、ぶらりと近くをドライブ、散策することに。
まずは、錬成会館へ・・・




送り出した後、カーナビで近くに何があるかを調べると、旧白洲邸の「武相荘」があることがわかり、昼近くまで行ってみることにしました。

白洲次郎氏は実業家であり、戦後の吉田茂総理の外交上の右腕と言っても過言ではない人物で「○○にとって従順ならざる唯一の日本人」といわしめた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%B4%B2%E6%AC%A1%E9%83%8E 
また、妻の白洲正子は文化人として有名。



武相荘母屋の萱葺き屋根
2006年12月から2007年1月にかけて葺き替えられたそうです。



最近のNHKドラマ「負けて勝つ」、吉田茂・・・戦後を創った男
のパネルが掲示されていました。


竹林に囲まれているためか・・・・
「蚊に刺されたらどうぞ・・・」なのであろう。


内装や室内展示物は撮影禁止となっていて、見るだけ・・・。
詳しくは、武相荘のHPで紹介されています。
http://www.buaiso.com/  


入口近くのガレージの
1916年型 Paige Model 1 Six ”38” Five-Passenger Touring
6気筒サイドバルブ(SV) 排気量3800cc 右ハンドル
ボディはFleetwood製のトゥアラー(幌型車)を撮すことはできました。

白洲次郎氏は「オイリーボーイ」として垂涎の名車を所有し、
晩年80歳までポルシェ911Sを愛し、乗り回していたらしい。



さて、12時近くまで、「武相荘」で白洲次郎・正子の世界に浸り、

その後、「錬成会館」へ
まずは、錬成会館内全景・・・
ちょうど、小学生、中学生に分かれて練習試合をやっていました。
剣道最高位の範士八段 豊村 東盛先生が指導に当たっておられました。
豊村先生は東競武道館の指導責任者です。 
(レンズ EF 8-15mm F4L USM)


錬成会館は道場なので、体育館ほどは広くないため、被写体との距離はあまり取れません
焦点距離は40mm前後が最適・・・
いつものEF 70-200mm F2.8Lは使えない。望遠側過ぎるのです。
しょうがないので、EF-S18-200mm F3.5-5.6 ISを使用することに。
ISOは限界の6400です。やはり写った写真にはキレがありませんが、しょうがないです。
でも、スナップとしての実用には差し支えないくらいの写りではあります。



お楽しみ時間でしょうか・・・風船を面や小手に着けてそれを竹刀で打ち割るようです。
竹刀の打込に鋭さがなければ割れません。なかなか考えた練習法ですね。



お楽しみの後は、基本稽古
豊村先生の優しくも厳しい眼差しが稽古を見守ります。



1500位まで合同稽古は続けられました。
良い環境に恵まれているなーと思いました。


東競武道館
設立経緯など:昭和46年1月に競艇関係者の体力向上と親睦を目的に創設。
昭和52年4月に地域の青少年剣道育成と発展のため剣道少年団発足。
現在は、地域の青少年の育成と発展のため青少年はもちろん、
剣道を愛好する全ての人々に開放。

全日本少年剣道錬成会館
設立経緯など:昭和60年(西暦1985年)、約2000団体の道場主と約100万人の少年少女剣士の浄財をもとに、当時の日本船舶振興会(現在の日本財団)の補助金や全日本剣道連盟の協力を得て設立。
現在は、財団法人全日本剣道上場連盟主催の各種講習会や加盟団体の合宿・錬成、少年少女・婦人・一般対象の剣道教室として剣道の発展に寄与。
また、広く一般にも利用されています。錬成会館は、日本財団の競艇交付金施設であり、財団法人 全日本剣道道場連盟直轄道場です。