私、生まれ、育ち とも 九州でして・・・
九州は鹿児島県出水市で、川や海で釣をして育ちました。
年代的には「釣キチ三平」ファンです。
高校卒業後、横須賀の小原台にある学校へ行き、それ以来 流浪ではない・・流転 の職に就いています。
たまたま、1997年に関東に居りまして、たまたま、、、’97 国際釣博 に 初めて・・幕張メッセまで、
娘(当時4歳)を連れて行ったのでした。
会場の一番奥で イベント会場として「江戸和竿」の大々的な製作実演が行われていました。
そこで見たものは「衝撃的でした。こ・・こんな世界があったんだ・・・・・Σ(゚д゚;)
(後日 月刊 つり人 1997年4月号 93ページ に 驚きの私と娘の写真が掲載されていた)
(邦昌 さんのお仕事場も表紙裏目次の部分に 和竿師に初めての称号 横浜マイスターとして載っている。)
そこで、お話を伺ったのは 田中邦昌 師・・・「カワハギ竿 の 邦昌」
お話をすると・・師匠の竿が 横須賀の釣具店にあるという・・
あまり、長居することはできなかったので、パンフレットを購入し(確か500円)
頭の中に・・・心の奥底に・・・「江戸和竿」が刻まれたのでした。
この冊子の末尾に
松本栄一著「和竿事典」と毎日新聞社「釣具曼荼羅」が資料・・参考文献と記してあった。
まずは、横須賀の釣具屋さんに出向いて、邦昌 さん の竿を見る・・・「高い!、到底手が出ない・・・」
悶々とする日々を過ごし、釣具屋さんで 和竿の材料を買って・・「いっそ作ってみるか」となった。
当然、使えないことはないけど・・こんなんじゃない・・・・ 何回か釣具屋に足を運び
諦めきれない。
平成9年12月13日に女房を連れて件の釣具屋へ・・
女房に・・、「どうかな・・・、欲しいんだけど」(・・。)ゞ
「買えば・・・ヽ(;´ω`)ノ」
(言い出したら聞かない性分を女房は知り尽くしている。)
土壇場で 反対されたら諦めようかとも、ちょっと弱気であったので
ヾ(@^▽^@)ノ
奥の親父さんに・・・
「邦昌 さんの カワハギ竿が欲しいのですけど・・」
邦昌さんの 竿はいくつかあり、「平成のカワハギ竿・・」といわれるカーボン穂先の竿もある。
一番高いところに、いかにも それらしい竿がある。
この竿を求めた釣具店の店主からはいろいろお話を聞いていた。
「こういう竿はもう出ないよ・・・今買うんだったら これを薦めるよ。」
女房はあきれて 何も言わない・・・ 「これを下さい。」
(* ̄Oノ ̄*) ヾ(@^(∞)^@)ノ
邦昌 さんについて 話が及ぶと
「邦昌が 若いときには 材料とかはうちの店で、準備して、作らせて、
納めてもらっていたんだ、それで、上手くなっていった。
だからうちで販売しているんだよ。」
聞くと・・長島万水さんとかにも話が及ぶ。
買った直後、この竿でカワハギ釣に行った。こういう感じなのか・・・・(((( ;°Д°))))
これ以降、2回ほど使ったが、
今は・・・正直・・・壊すのが怖くて・・・ 使えない・・コレクション・・・・見本竿として
折がある度、磨いているだけになってしまった。
鎌首のように仕上げられた穂先:背美鯨穂 横浜竿の特徴ともいえる。
ゴールドサーメットを使用したガイド
チタンのリールシート
手元の淡竹の根堀部分と節間のつまり具合、胴部分の布袋竹の節間
節の形状・・ 厳選された 竹材 と パーツ
竿丈 7尺2寸 2本印籠継ぎ 背美鯨穂 胴布袋竹 手元淡竹根堀
塗り:不明「乾漆 草の繊維が混ざっているよう」 よく言われる石地撒きとは違うと思われます。
追記:焼印は鎌倉の彫金師 河井一舟 と思われる。「焼印の顔」から推察する。
ゴールドサーメットリングは1991年(平成3年)以降登場
次は、カワハギ・・ではなくて 関連資料 や 書籍の類をまとめてみます。
和竿探求の旅が始まった。
どうも、性分的に追求したくなる。・・・・・