【拝啓、25年前の小戸バスケゴール】
あの頃は僕1人だったから対人ができず、オフェンス練習ではいつもキミに体当たりしたりボードでパス練習したり翌朝までシュート練習に付き合ってもらいましたね。
キミの目線から眺めてみたら、見てくれはあの頃と大きく変わったでしょうし(笑)、僕としても幾ばくかは人として大きくなったのかなあという思いは儚く、愚かに感じる程にキミから見れば140cmの丈だったあの頃と同じく僕は存在としても人としてもちっぽけなままです。一方で、僕にとってキミの存在は日増しに大きくなるばかりです。
「キミにできないことで僕に出来ることって何か?」
これはキミが1人だった僕に付き合ってくれた沢山の時間を感謝し掲げる僕にとっての永遠のテーマであり命題なんです。その一つの答えがこれです。
キミはいつなん時でも変わらず、ココにいてくれます。だけれどココからの景色しか見れません。
だから僕はたくさん旅をする、行動するって決めたのです。なぜならキミを知って欲しいからです。また、そうした旅の道中で多くの人と出会い、気付きや学びを賜りポンコツな僕でも少しづつ少しづつだけれど前に進めているのかなあと思っています。とは言え、まだまだ旅の途中ですが...。
さておき、最近やけに騒がしく感じるのではないですか?それもそのはず、実はそれはキミを目掛けて福岡だけでなく全国からたくさんのバスケ好きが集まってきてるからなのです。
いつもココにいてくれるキミを知ってもらい子どもから大人まで、また、色んな環境下でバスケする人たちみんなをキミに紹介したかったのです。そういったキミにとってもいつもと違った景色をきっと喜んでくれると思ったからです。
元来、激しい人見知りで人とのコミュニケーションが苦手で、むしろ毛嫌いしてきた僕をキミは変えてくれました。だから生活環境さえも異なる初見同士が集まってきてもきっとキミは1つにしてくれると思っていたし、最高な時間になると思っていたし、結果やっぱりそうなっています。
ところがキミのように、様々なマチでみんなにとってかけがえのない時間を与えてくれるキミの同志の悲しい話もよく耳にするようになりました。周囲にゴミが散乱し、キミたちの居場所がなくなっているのです。
と言いながら、昔は僕も何も考えず自分のゴミを捨てずそのままにしたりしていたことがあります。本当に愚かで恥ずかしいことだけれど、その時は特に何も考えず軽はずみにそういった行為に及んでいたのです。きっと今でもそういった子もいるはずだから、一方的に禁止というような物腰でなく、そうした行為からみんなの大事な場所がなくなって欲しくないからと直接伝えるようにしています。以前の過ちからの僕なりの贖罪の意も込めて。
そう伝えていくと、みんな理解してくれたのかゴミを見る事が少なくなるだけでなく、ゴミを見つければそれが自分のモノでなくとも拾っているのです。
伝え方、話し方、言葉ひとつで如何様にも変化があるものなのですね。外国語を流暢に話したいという願望もある僕なのですが、その前にもっと日本語を学ばなければいけないと痛感している次第です。
また、人によってはゴミを捨てない、「それが当たり前だ」という見解ももちろん分かっています。だけれどそれが少数であっても全体のコトとなるのだから僕は僕なりに言い続けるつもりですし、黙ってゴミを拾い続けます。
ただ、そのようなことを続けていたら思いがけないこともあったりして、今までは真っ暗だったこの場所に「暗いでしょう」と街灯を点けてくださったり応援してくれたりといった恩恵まで受けたりすることもあります。
キミがいつもいてくれる場所で、失敗ばかりのどうしようもない僕だけれど沢山の大事なモノを授かっています。
20代前半の頃はキミにタッチ出来たことが嬉しくて堪らなくピョンピョン跳ねていましたが、今は治してもいない壊れた膝では全くキミに届かなくなりました。
だけれどやっぱりキミにタッチしたく、今日もキミの面前で25年前と変わらず、跳ぼうと意気込み励むアラフォーの僕にどうか付き合ってもらえたら嬉しく思います。
いつもいてくれてありがとう。
旅を続けます