2月は「梅が咲き誇る」時期と思い、金沢の兼六園、岡山の後楽園とならぶ「日本三名園」のひとつ水戸の「偕楽園(かいらくえん)」梅まつりを観に出かけました新幹線

  

水戸駅前にある      旧弘道館の白塀に映える梅花   旧弘道館正門

水戸黄門・助さん格さん像

 

以前より天気予報や市民観光ボランティアの「歴史アドバイザー水戸」案内申し込みしてあり、水戸歴史を少し事前勉強メモをして準備万端用意して伺いましたので、この日は終日迄、内容の濃い充実した旧弘道館の水戸城歴史巡りあしと偕楽園の「梅まつり」を堪能飛び出すハートして参りました

その歴史散策を前編「弘道館」後編を「偕楽園」と分けて二回投稿して参ります

 

  

水戸学の道 案内板   旧弘道館前に咲く梅花  歴史アドバイザーガイドさん

 

水戸学の道散策コースで水戸城を一周してきましたあし。約1.7㌔約一時間ですが

撮影や資料の読み取り、周りの景観をノンビリ観て歩きを含め水戸駅10時30分着

から旧弘道館内をガイドさんから説明を受け一時間、水戸城の外周水戸学のコースを

廻り散策あしすると二時間30分ほどの12時30分で駅ゴール汗ニコニコに戻りました。

 

  

庭から旧弘道館(正庁)を観る目   正庁諸役会所      正席の間

 

水戸学は水戸藩主、徳川光圀公(水戸黄門)の大日本史編纂が始まりとされる。

江戸時代後期には徳川斉昭(なりあき)公らが天皇をもとにした国全体が諸外国に立ち向かう「尊王攘夷」論を示した。藩を超えて国家的視野から様々な課題に対応する理念が明治維新や近代日本の形成に大きな役割を果たしていきます。

 

正席の間は藩主が臨席して文武の試験が行われた重要な場所です。

床の間の掛軸は弘道館記碑の拓本です。天保9年(1838)に徳川斉昭の名で公表された「弘道館記」には「神儒一致」「忠孝一致」「文武一致」「学問・事業一致」「治業一致」の五つの建学精神が示されています。(弘道館)

 

  

左(幼少の慶喜、右は斉昭  御座の間(大政奉還後に慶喜が謹慎した部屋▲です)

               至善堂

 

  

大日本史   白塀の向こう側に武道場や教育施設がある  維新後の徳川家

 

  

水戸城大手門(復元)   茨城師範学校跡  メイン通りに案内板が随所にある

水戸城跡の風情を感じます             (二之丸角櫓案内)

 

  

水戸城跡の大シイ    杉山門を潜り通る   本城橋を渡ると薬医門が見える

 

近世水戸城の主な建造物と遺構

近世水戸城は水戸藩35万石を治めた水戸徳川家の居城です。土塁と堀によって

東から「下の丸」「本丸」「二之丸」「三之丸」の四つの区画「曲輪(くるわ)」を

構築しています。土造りの平山城としては国内最大級の規模になります。(水戸市)

 

  

薬医門(水戸城本丸跡)   柵町坂下門    土塀から見上げる二之丸角櫓

水戸城で現存する建造物

 

  

二之丸角櫓(裏側です) 義公生誕の地(光圀公) ゴールクラッカーあしは水戸駅北口です

内部に水戸城門扉展示品・資料があります 

(復元)  

次回はグッド!「偕楽園」バスに参りますウインク

 

 

    

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