前回は長岡市のまちなかを小走り走る人に観て参りましたが・・・これからは駅前のレンタカーで

ホンダ小型車で悠久山公園・長岡市郷土資料館~小千谷の慈眼寺(じげんじ)、割烹「東忠(とうちゅう)」~信濃川土手の「武士の娘」文学碑~鉞子想い出の「紅梅」がある付属幼稚園まで、車車で廻って観てきます。

  

長岡市郷土資料館   カーナビで電話登録して案内  球場駐車場から歩く

悠久山公園内          誘導してもらう    蒼紫神社を経由して資料館まで歩く

 

  

悠久山公園は桜の名所で、家族連れの御花見が観られた やっと到着です

                           

長岡市郷土資料館は市街地の東部にある悠久山公園の高台にあり、建物の姿は城を

形どり、4階の展望台から市街地及び新潟平野が一望できます・・・

昭和43年に蒼紫に包まれた悠久山公園の高台に城を形とった郷土資料館を建設し

貴重な歴史資料や文化財を一堂にあつめ展示公開し、長岡の歴史を学ぶ施設として活用

平成4年(1992)8月には、新に郷土出身の先人顕彰展示を開設し、人物を通して長岡の

歴史文化を紹介しています・・・悠久山公園入口から高台の資料館迄20分は歩きますね~

この三階にお目当ての音譜武士の娘」杉本鉞子(えつこ)さんの資料が展示されています。

 

  

4階展望から市内を観る 攻防戦に威力を発揮した 「武士の娘」は8ヵ国に翻訳され

                  ガトリング砲        各国の人気ベストセラーになる

 

館内は30分位で観覧、慌ただしく次の小千谷市(おじやし)の慈眼寺(じげんじ)へ

実は、慈眼寺の「河井継之助と岩村精一郎の会談の場」の「会見の間」は事前に予約制で

午後14時に約束してあるので間に合わせるために早目早目に時間を計り見学しております

 

  

慈眼寺(じげんじ)     小千谷談判会見の間   今秋映画放映映画ポスター「峠」

本堂前に司馬遼太郎の「峠」文学碑?

                                        

約束の数分前に到着、いよいよ長岡藩の命運を決した会談場を拝見です

北越戦争で欠かすことが出来ない史実、小千谷会談の行われた部屋です。

継之助の懇願は届かず、岩村精一郎はわずか30分で席を立ち、会談は決裂した。

本堂に入ると右側には二人が対座した当時のまま残されています。(予約必要です)

「テープを流しますから、退室したら玄関に戻つて連絡ください~鍵をかけますから~」・・・

と住職の奥さんでしょうか?声をかけてきました。

一人、部屋の写真をパチリ・・・パチリ、後で住職の方が過去の地震ドンッで寺の再建が

大変だったお話を聞きました・・・大変ご苦労しょぼんなされたようです・・・

いろいろなお話「ありがとうございましたニコニコ」、拙者も30分位で退席で、次のランチ割り箸

向かいますが車・・・・

  

会談後、継之助が昼食をとった  コーヒーコーヒーと     継之助がランチした部屋

石食亭 割烹「東忠(とうちゅう) 特製パフェで一息    「梅の間」

 

暖簾を潜り、静まり返った玄関で「こんにちわ~食事したいのですが~」と声をかけると

奥から女将さんが出てきて「もうランチは13時半迄で食事はありませんがカフェで

飲み物でもいかがですか?」~とのことで次の部屋に案内されコーヒコーヒーと東忠甘味の

パフェ和パフェを注文し一息休憩です・・・予定ではランチの東忠御膳2,200円を

所望したかったんですが残念です、時間が間に合わなかった~しょぼん

 

  

落着いた東忠カフェの部屋  東忠の坂からの眺め    小千谷陣屋跡石碑

                                   (幕府直轄領会津藩預所)

休憩していたら女店員の方が継之助の昼食をとった部屋や、外の東忠の坂での休憩場所

・・・ここから徒歩5分で小千谷陣屋跡の歴史場所がある・・・など親切に教えていただいた

何でも話してみるもんですね~「お世話になりありがとうございましたニコニコ

もう時間は15時40分を過ぎました・・・いよいよ「武士の娘の文学碑」を目指して

車を走らせDASH!ます。

信濃川が流れる大手大橋のたもと着いたのは50分後の16時30分

陽が少しづつ落ち始め「武士の娘」の文学碑を背に逆光が眩しく移りました

凛とした杉本鉞子さんが、そこにただずんでいるようです・・・

 

  

杉本鉞子さん  信濃川川縁にある     世界8か国に翻訳された「武士の娘」

プロフィール   「武士の娘」文学碑     

 

   

鉞子の生家にあったと言われ現在(附属幼稚園    郷土の味「醤油味の長岡赤飯

にあると言われる「梅の木」を外から眺める      

 

稲垣家に唯一残っていたという庭にあった鉞子の思い出の梅の木です。

樹齢は150年以上と思われる梅の木です。

明治33年に稲垣家の跡地に女子師範学校が立ち、学校の敷地の梅の木を守るために

稲垣家に勤めていた女中「お松」は梅の木を守るために学校の用務員に志願したそうです

お松は梅の木を守るため30年以上用務員の仕事をして表彰されます

昭和26年頃、梅の木は師範学校の校舎が壊されるときに卒業生の働きで教育ゆかりの地である新潟大学附属幼稚園に植え替えられたと言います

五メートル近くある巨木の梅の木ですが、以前より花は少なくなり台風や急な積雪で

幹が折れてしまっています・・・そろそろ寿命が近いかもしれません

「梅の木」に深い思いのある人が接ぎ木に成功した木をもってきてくれて

二代目の若木を植え二年目にして初めて小さい花を咲かせてそうです

この梅の木を通じて杉本鉞子の生涯やその歴史を知り、

生き様を学び語り継ぎたいですね~ニコニコ

 

帰りは18時頃の長岡駅発、東京行きの新幹線です・・・

ランチは、まともなものを食していませんでしたので、駅構内の食品売り場で

出来立ての「長岡赤飯」を車中で食することにしました

この長岡赤飯は全国でも珍しい醤油味の茶色の赤飯なのです

普通、ピンク色ですよね~

長岡の醤油味の由来は諸説ありますが、昔、長岡ではささげがなかなか採れず、

ささげの赤い汁でもち米に色を付けることが出来なくて、身近にあつた醤油で色付けた・・・

のが始まりとか?摂田屋などの醸造の町があり

醬油造が盛んであったからかもしれませんね

 

では、又、拙いブログを最後までお読みいただきありがとうございました。

 

ブログイイねや、ピグ宅訪問、いつもありがとうございます。ニコニコ

ピグともさん間もなくピグともキャラのマグネット造りが一部出来ました

全員とは出来ませんが和風の着物を優先的に作成しています、宜しくね~バイバイ