奥方殿の誕生日祝いを塩原温泉旅行にした帰りは別行動で、
拙者はJR宇都宮駅で下車し「宇都宮の戊辰戦争」の足跡を少し歩いてみたいと思い
駅最寄りの市指定文化財「旧篠原家住宅」を訪ねる。徒歩西口から3分
休館日:月曜日 入館料:一般 100円(市内の高校生以下は無料です)
復元された宇都宮城 旧篠原家住宅 明治30年の篠原家母屋
一階帳場の大黒柱 箱階段 二階の座敷 客間・十畳間
旧篠原住宅の座敷:大広間の座敷は20畳の広さがあり婚礼やお祝い事などの接客の
場として用いられている。床柱(とこばしら)は。一辺が一尺二寸五分(約38cm)もある
ヒノキ材で1階の大黒柱からの伸びてきていて棟木(むなぎ)まで達して11㍍もあります。
ここは宇都宮市を代表する旧家の一つで江戸時代(19世紀初期)から奥州街道口で
(現在の場所)醤油醸造業や肥料商を営んでいたという。
現在の建物は明治28年に建てられ第二次世界大戦の戦火により醤油醸造蔵や米蔵などは焼失しましたが母屋と石蔵三煉を残し、明治時代の豪商の姿を今日に伝えています。
館内での女性窓口の方達は大変親切で、館内の説明の他、拙者が「戊辰戦争」の話を
し始めると歴史書の本をとりだし・・・ここと・・ここは・・と概要を説明しはじめ・・・
市内地図をとりだし道順を教えくれました。ホント感謝ですね~「ありがとうございました
」
六道辻(ろくどうつじ) 六道辻にある「戊辰戦役戦士の墓碑」 光琳寺(こうりんじ)
(西原一丁目3-13) (西原一丁目5-23)
時間の都合でタクシーで六道辻まで、この交差点で小さい鳥居見え・・・
ここが戊辰戦争の時、激しい戦場だった場所で、付近の住民が幕府軍の死者を哀れみ
明治七年に建立した「戊辰戦役戦士の墓碑があり、この場所から近くの光琳寺には
北と南に向き合った官軍の墓と幕府軍の墓があります。
幕府軍の墓(光琳寺) 官軍の墓(光琳寺) 宇都宮市内マップ(中心地)
宇都宮攻防戦(詳しくは割愛します)での新選組、土方歳三は約200名の桑名藩脱走兵
を率いて勇戦、土方が怖気づいて退却しようとする一人の兵士を斬殺したことから
兵士たちは土方の気迫に圧倒され、勇敢に敵城へと突撃。土方は味方の兵士を斬ったことへの慚愧の念にたえなかったものの、この一件によって土方の実践指揮官としての株は
多いに上がったといわれている。この宇都宮城攻防戦のさなか足に敵弾を受けて負傷し
今市に送られることになる・・・
嘗ては三の筋と言われた町名 宇都宮城 城内のマップ
「武家屋敷」(西町三丁目付近)
宇都宮城攻防戦の説明板 宇都宮城本丸将軍家 現存している唯一の
御泊城/節建物/図 土塁と言われた・・・
二荒山神社(ふたあらやま) 「番外」カトリック松が峰協会 宇都宮市のシンボル
この神社で新選組、が展開した 本格的なロマネスク様式 樹齢400年の大イチョウ
今回の戊辰戦争歩きは時間が無く…新選組が宇都宮で展開した場所・・・
西の延命印方面から砲撃を受け持ちこたえず撤退した八幡山や二荒山神
慶応四年の4月19日攻防戦で下河原門を攻略した場所(天神二丁目付近)
土方歳三がこの付近で味方兵士を斬り捨て鼓舞し後に、
その兵士の墓の建立を頼んだとか・・・そして全国に「戊辰薩藩戦死者墓」がある中で
一番美しいと言われる報恩寺など・・廻ってきたい場所でしたが・・あれもこれも
チョット無理でしたね~機会がありましたら又、戊辰戦争攻防戦の面影を巡ってきたいと
思いますね・・・ああ~残念