木曽街道六十九次之内「妻籠(つまご)」 福島宿午前5:30 親水公演の足湯
上の段へ坂を上る 木曽川沿いにある崖屋造り 早朝の福島宿内木曽川沿い
どうしても、もう一度福島宿の名所、上ノ段坂を上り卯建の上げた町屋や木曽川の崖に迫り出すように崖屋造りの家が建ち並ぶ光景などを観たくて、早朝の五時に宿を出て宿内を廻る
やはり谷底の街なのか・・日の出は遅く宿内は未だ薄暗く、街道脇の灯りが煌々と点っている
周りが明るくなるまで暫く、木曽川傍の親水公園の足湯で手足を温めた・・・「温かい~!」
冷え込む谷底?には、心地よい温泉湯でしたね~(宿を午前5時に出て6時30迄散策)
木曽福島駅を7:36発に乗る 南木曽駅に8:40に着く 妻籠宿案内図看板
午前七時にはお世話になった宿を出て木曽福島駅午前7:36発で「妻籠宿」の最寄り駅
「南木曽駅」には一時間後の8:40分に着き、早目にまつり前の妻籠宿を観ることが出来ると
考えましたが・・・
以外にもこの時間帯の妻籠へのアクセス「バス時刻」が10時05分まで無いことが解り、
タクシーを呼び妻籠宿入口駐車場まで第一駐車場迄送ってもらいました・・・
(タクシー料金は1,350円~1,500円以内で10分位で妻籠宿入口駐車場に着きます)
駐車場より宿内に入る 米国親子に出逢う… 北側の入り口 高札場と水車小屋
(恋野) (下町)
妻籠宿は宿場の建造物を中心に旧中山道に沿った在郷および周囲の環境が一体となって
歴史的風致を形成しており江戸時代の宿場を良く伝えています。
(重要伝統的建造物群保存地区 南木曽町妻籠宿保存地)
北側宿場入口から下町~中町を観る
旧中山道四十二番目の宿(42次)
妻籠宿(つまごしゅく)は室町時代末期には、すでに宿場として成立したと考えられ
慶長七年(1602)幕府が中山道に六十七宿を定めた時、妻籠もその一つとなった。
宿場は上、中、下町を中心として本陣、脇本陣、問屋が置かれ保存地区は、東西三・八㌔、南北五・五㌔の面積1,245.4㌶で北区内に宿場・寺下・在郷の三地区に分けられる
建物は出梁により二階を張り出した切妻造平入が特徴で江戸末期から明治にかけて
再建されたものが多く大規模な建物が多い。寺下は光徳寺の門前町の形態をなし
一般に間口が狭く建物は小規模である。在郷は旧中山道に面した町屋風の建物と付近に
点在する農家がある。(昭和五十二年三月 文部省南木曽町) 一部編集
脇本陣奥谷(おくや) 脇本陣奥谷人気スポット 隣接している「歴史資料館」
カメラマンが並んで凄い▲ 明治天皇の東山道巡幸(御小休みされた)
「囲炉裏の煙 光と影?」
街並みの保存原点がこの場所で語られたという「脇本陣奥谷林家住宅の囲炉裏」
和宮から拝領の車付長持ち 藤村の「夜明け前」 おゆふさんの関係資料
新潮社出版 藤村の「初恋の人」と言われる
復元された妻籠宿本陣前で 本陣の玄関敷居 再現された本陣上段の間
知り合った米国人のご婦人
枡形(ますがた)の(町史跡)
町並みを守るために家や土地を「売らない・貸さない 延命地蔵(汗かき地蔵)
壊さない」を中心とする住民憲章をつくり江戸時代の
町並みという貴重な財産を後世に伝えています。
食事はこれから「文化文政風俗絵巻の行列」が12:30頃に中央の本陣隣の
「ふれあい館」来賓会場を通るとのことで簡単に食せる「五平餅」と熱々の「おやき」で
済ませ、本日のメイン行事を待ちました。
まもなく聞こえてくる「トンツク・・・トンツク」・・と、太鼓の音と上り旗が見えてきます・・・
では次回は「文化文政風俗絵巻の行列」ご期待くださ~い またね~