先日の板鼻宿の「板鼻堰用水路」を、もう一度、観たくて出発地点を戻り「板鼻堰」とした

この日は春二番の南風が強く吹いた翌日で・・今度は北風が強くショック!日中気温が10℃前後・・

何とかフード付きの防寒コートで「安中宿」をゆっくり中山道脇の寄り道も含め得意の?

自然任せの街道歩きをして参りましたあし・・正確には中山道「板鼻堰~安中宿~郷原」迄です

距離にすると2里16町(9・6キロ)時間は脇道・寄り道、史跡廻りを含め5時間位でしょうか?

では街道歩き参ります・・・

    

木曽街道六十九次之内・安中      上野国碓氷郡 旧中山道安見絵図と歩行地図

 

安中宿は上野国碓氷郡安中の碓氷川と九十九川に挟まれ海抜180m河岸段丘上にあり

中山道で日本橋から十五番目の宿場です

天保十四年(1843)年の中山道宿村大概帳によれば安中宿の宿内家数は64軒

本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠17軒で宿内人口は348人であった

 

  

板鼻堰用水路    渡し場がある鷹之巣橋を渡る更に国道18号に合流「久芳橋」を渡る   

(▲この清流のせせらぎを聞くと音譜何故かホッとするのです・・)

 

板鼻堰水路は江戸時代初期に造られ稲作振興と宿場用水として板鼻~豊岡にかけて

水田160町歩余りを潤し、また鯉の養殖が盛んだった名残が見られ往時の風情を偲ばす

清流をみながら渡し場であつた鷹之巣橋に足を向けスタートあしです・・・

 

  

旧安中藩郡奉行役宅(猪狩家)   説明板    引き戸を開け見せてくれた享保雛

 

安中宿に入り中山道の一つ東側に大名小路の通りに武家長屋・郡奉行役宅がある

最初の訪問です・・・ところが武家長屋は茅葺き屋根、葺き替え工事で平成28年11月5日~

平成29年3月末まで工事のため見学ができないとの・・張り紙案内・・残念ですねしょぼん

 

気を取り直し、隣りの郡奉行役宅(こおりぶぎょうやくたく)を訪問、敷地内に入ると

センサーで解るのか?窓口係員の方(同輩位の男性)が現れ、親切に、こと細かく説明を頂きました・・母屋の式台から玄関の三畳は縁がありますが来客用以外の部屋は畳に縁(へり)

が無いことや・・下男の部屋は一畳の板の間であったり・・・また、引き戸から江戸時代の

大きな気品ある高貴な享保雛を見せていただきました・・

そして、これは最後の冊子ですが・・・

と貴重な「中山道上州七宿めぐり散策図」までいただきました・・本当に感謝です

「ありがとうございましたニコニコ」・・・

 

いろいろお話も尽きませんでしたが歴史案内マップと説明をいただき次のコース

復元された旧碓氷郡役所(きゅううすいぐんやくしょ)

新島襄記念会堂がある安中教会大泉寺にある井伊直正正室の墓を巡り

大泉寺の下り坂を下りると丁度、中山道の本陣跡がある安中郵便局へ出ます

 

再び、街道を歩き伝馬町を過ぎると江戸末期天保三年(1832)に味噌・醤油醸造元として

創業した有田屋さん街道を挟んで向かい側に日本初の民間図書館「便覧舎」址がある

 

更に街道を歩き愛宕神社常夜灯大木戸跡の石碑など風情ある街並みを通ると

新島襄旧宅の案内表示が見える・・・史跡巡りに時間がかかりついでの寄り道ついで?

街道より西側(左側)外れた狭い道を案内表示通り左折して今度は右折して一際、目立った

安中市指定史跡「新島襄先生」の白木案内と茅葺二間長屋の旧宅でした

 

  

旧安中藩 武家長屋(工事中)  郡奉行役宅の部屋     一畳の下男の部屋

 

  

 安中城址碑             安中教会          旧碓氷郡役所

 

  

井伊直正 正室の墓    安中宿 本陣跡(安中郵便局内)  郵便局左側が(本陣)

    

  

右側に有田屋さん左側手前に便覧舎址   有田屋案内看板   常夜灯

 

  

愛宕神社             安中宿大木戸跡碑    新島襄の案内表示が見える

 

  

目の前に新島襄先生の旧宅が・・・新婚後、間もない頃の夫妻    新島襄旧宅内

 

天保十四年一月、神田錦町にあった安中藩上屋敷に生まれた新島襄

幼名を七五三太(しめた)と言い才気活発 十八歳に幕府の海軍操練所に入り・数学・航海術

と共に英語を学びこの頃より海外への思いを馳せていたようです・・明治九年に皆さんご承知の山本八重さんと結婚ドキドキ・・・(詳しくは割愛します)・・・

この間、シルバーの専門ガイドさんから説明を聞く・・一時、は大河ドラマテレビ「八重の桜桜」で

人気ラブラブが出て多勢の観光客の人たちが訪れてましたが・・今では・・と寂しそうにお話を

続けられていました・・・八重さんの手紙や襄さんの資料が所狭しと飾られていましたが

先を急ぎ・・・観覧は20分位で退室しました

 

  

天然記念物安中原市ノ杉並木  ランチ割り箸は「いちよし」店の鴨汁そばにしました

 

                       

旧中山道をひたすら歩くあし  ハ本木旧立場茶屋跡    松井田宿迄1・9㌔の道標

 

旧街道を行き来する旅人が強い日差しをしのげるように植樹されたこの安中杉並木は

国の天然記念物に指定され街道の両側に732本あったとされる・・・巻頭の木曽街道六十九次

安中の図に広重が描いている・・・次の松井田宿にもう一息・・・八本木旧立場茶屋跡と

隣りにある地蔵堂を拝み・・松井宿まであと1・9キロの道標前を通り国道18号線に合流する

分岐点に来ました(妙義道道標)地点です・・・帰りのJR信越本線「松井田(まついだ)」駅が

最寄り駅になります・・

 

気になったのは「安政遠足(あんせいとおあし)」

1855年(安政2年)安中藩主板倉勝明が藩士の鍛錬の為、藩士96人に安中城門から

碓氷峠の熊野権現神社まで走らせた徒歩競争走る人です・・・総走行距離は約30㎞だが

スタートからの標高差は1000mほどある・・まぁタイムは重視されなかったが・・・

これがサムライ(侍)マラソンの発祥なのです・・・その発祥の地と図があった場所を

見逃したので、話のネタにせめてお土産の遠足最中でも・・と創業天保五年(1835)銘菓

「とうあし最中」の老舗小野屋さんで買い求めました・・・

 

  

とおあし最中老舗「小野屋」    安政遠足之図     とうあし最中(白餡と小豆餡)

                  (画像はお借りしました)

 

今回は旧中山道の周辺史蹟巡りが多く長くなりましたニコニコ、これでも随分割愛し

カットしたつもりです

次回は「松井田宿~坂本宿」、いよいよ碓氷峠越えが間近になり月間天気予報が

気になる季節でもありますね~ニコニコ 

カゼインフルや花粉症に気をつけて・・では次回にお逢いしましょうパー