其の一に続く7月末日のある日
両国小学校の少し西側、現在の墨田区両国三丁目(旧本所松坂町)に
なまこ壁に囲まれた「吉良邸跡」があります。
元禄十五年(1702)12月14日、赤穂の四十七人が討入りしたところで
「忠臣蔵」で知られるところです。
公園を取り囲む高家の格式を表す「なまこ壁」と黒塗りの門が僅かに当時の
模様を偲ばせています。
園内は約30坪くらいで壁面に銅板で義士関係の記録や絵画があるのは
訪ねる前までは拙者、知りませんでした。
吉良邸・首洗い井戸
![ドクロ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/152.gif)
吉良家家臣二十士 供養碑
しばらくして、四丁目に向い両国小学校の隣の両国公園に幕末に活躍した
幕臣の一人「勝海舟の生誕地」を訪ねました。
直新影流、三本のうち、一本は勝ちを譲る剣聖「男谷精一郎信友」の門下
島田虎之助に剣を少年時代に習っています・・・男谷精一郎信友とは親戚です。
両国界隈地図 右中央に北斎通り 清澄通りの博物館前から北斎通を見る
次に京葉道路を渡り地下鉄大江戸線「両国駅」前の清澄通りに出て
北斎通りを訪ねる。
墨田区の亀沢は葛飾北斎生誕の地です。それを記念して、「北斎通り」と言う名の通りがあります。
北斎は九十歳の生涯のうち九十三回も引越しをしたと伝えられていますが驚きです、どちらも驚きですよ年齢も・・引越しも・・・まだ五十・六十洟垂れ小僧か
・・
両国と錦糸町を結ぶ北斎通りの街頭灯91本と公園の公衆トイレ二ヶ所で北斎の
103作品(絵のシール)を紹介しています。ちょっとした北斎ギャラリーですね・・
でも・・・150年後に北斎の人物画や北斎の浮世絵が公衆トイレに描かれていたら
北斎は何と言うでしょうね・・・