7月の上旬のある日、お取引先の商品展示会招待状があり午後に
墨田区のリバーサイドホールに出かけた。
展示商品を見て、打合せ後、帰りに傍の「うるおい広場」で一休みと思って
立ち寄ったところ
銅像が見えたので(誰の銅像かな?・・)近くで見ると・・・これはしたり(これは驚き)
幕臣の勝海舟ではないか・・・生家(両国4丁目)から離れているのでまさか
ここで、お会いできるとは・・・
駒形橋から墨田区役所、東京スカイツリーを眺める
建立の記
勝海舟(通称・麟太郎、名は義邦、のち安房、安芳)は、文政六年(1823年)
一月三〇日、江戸本所亀沢町(両国四丁目)で、父小吉の実家男谷邸に生れ、明治三十二年(1899年)一月十九日(発表は三十一日)、赤坂の氷川邸で逝去されました。
勝海舟は幕末と明治の激動期に、世界の中の日本の進路を洞察し、卓越した見識と献身的行動で海国日本の基礎を築き、多くの人材を育成しました。西郷隆盛との会談によって江戸城の無血開城をとりきめた海舟は、江戸城を戦禍から救い、今日の東京の発展と近代日本の平和的軌道を敷設した英雄であります。
この海舟像は、「勝海舟の銅像を建てる会」から墨田区に寄贈されたものであり、ここにその活動にご協力を賜った多くの方々に感謝するとともに、海舟の功績を顕彰して、人々の夢と勇気、活力と実践の発信源となれば、幸甚と存じます。
海舟生誕百八十年
平成十五年(2003年)七月二十一日(海の日)
墨田区長 山﨑 昇
と書かれてあり
この海舟像は海舟生誕180年の平成15年(2003年)7月21日(海の日)に
「勝海舟の銅像を建てる会」から墨田区に寄贈されたものであった。
銅像の海舟の指は、東京湾から太平洋の海を指しているようだが高速道路が邪魔をしているようだ。
勝海舟については後日、もう一度、ゆっくり生家の方(両国四丁目)を訪ねてみた・・と・・思いながら浅草に足を向けた・・。