なぜグローバル教育「国際基準」なのか? | インターナショナルスクール式・グローバルに活躍するチカラ/楽しい子育て・グローバル教育!

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#インターナショナルスクール #グローバル教育、


『アメリカの教育がいいとも思ってないし、社会(学校、クラス)がどうとか関係ないんですよ、親は「自分の子が幸せになること」しか考えてません』と、いうメッセージをいただいたことがあります。

 

 

どっちがいいかではなく、こう言うところが違いますと注意していたつもりでも、相手を怒らせてしまったのは申し訳なく感じます。でも、ふと疑問が・・・『自分の子だけ幸せに?そんなことが可能なのかな?』

 

 

違いはそこじゃない?この数日、いくつかあげてるケーススタディもそうだけど、「自分の子が」となると見えなくなってしまうものがあって、それは子供にとってデメリットになってしまう可能性がある、

 

 

「世界基準の子育てのルール」の著者の記事を読んでみました。

 

 

  なぜ「国際基準」なのか?

 

コラムのタイトルに「国際基準で」という言葉が入っているのを不思議に思った読者の方もいらっしゃると思います。その疑問はきっと、「なぜ国際基準でなければならないのか?」 「わざわざ国際基準と言うのは何故なのか?」 「日本基準でいいじゃないか、何が悪いのか?」というようなものでしょう。

 

私は、世界中から集まったとても多くの人種に囲まれながら毎日の生活と仕事をしています。その中で日本人と出会った時、幸せそうにしている日本人と出会うことが、とても少なく、どちらかというと自分の培って来た基準と多様な人種の持つ基準のズレに迷ったり、腹を立てたり、困ったりしていることが多くあります。

 

結局、日本人である私たちは、他の文化を持つ人の行動や言動が気になって仕方ないのですね。自分が「普通」と思っていたことと時にはかけ離れた「普通」と出会うことがあります。

 

そのたびに、不思議になる感情が湧き上がってくるのです。自分自身の中では、日本人であるからこそ、実は寛容性や他人の幸せを快く思う気持ちがとても乏しいというのが問題だ、という結論に私は至っています。

 

でも、どうしてそれが我々日本人の心の中に起こってしまうのでしょうか。

 

国際化という言葉が日本で使われ始めてすでに50年以上の時が経っていてもなお、国際的に活躍する日本人が他国に比べて非常に少ないという事実があります。もしかしたら、私たち日本人が「常識」と思っていたもが国際人でいるためには、「非常識」なのかもしれないという可能性を疑う時期に来ているのかもしれません。

 

私が日本の外で子供たちと生活して、そして仕事をして様々な人種の人たちと仕事をしたり遊んだり交流することで、ひとつ気になることを見つけました。

 

それは、日本で言われる「国際化」という言葉には、「国際的に幸福になる」という概念が抜けていて、何か「国際化=英語、国際化=文化の理解」というような表面的なものばかりに偏っているということなのです。

 

世界に飛び出してくる各国、各文化から来ている人たちは、「幸福」を求めて国外へ出ています。アメリカの建国精神がまさにそういうものでしたが、自国が内戦の真っただ中で、命からがら逃げてくる人。自国が偏った富裕層だけを特別待遇しているところから、自由を求めて出てくる人。法律やルール、社会的な目が無意味に厳しく、もっと自然な幸福を求めて出てくる人。それぞれです。

 

しかし、大学での講演会の機会などで、日本に住んでいる若い人たちに「国際的に関わりを持って幸せになってみては?」と問いかけても、その返事はほとんどが「今の日本で満足しているので出る理由はない」というような内容です。

 

しかしその一方で自分の将来や現状には疑問が多いにあり、変えることができるなら変えたいと思っているのも事実のようです。私にしてみれば、外の世界を見たり触れたりしたこともないのに、今の日本が自分を満足させている環境であるとなぜ言い切れるのか、とても不思議に思います。

 

何かを測るとき、そこには物差しが必要なのですが日本のことしか知らない、体験していない若者が正しい基準になる物差しを持っているのかという疑問もあります。

 

やがて、そうした若者が大人になり他の国の人たちと交流する機会があったり、旅行したりすると決まって他の国のことで口にするのは「幸せな国ですね、幸せなそうな人ですね、幸せな土地ですね、自由ですね」という言葉ばかりです。

手遅れなんですね、大人になってからでは。これは社会人や主婦の方が外国を訪れても同じようなことを言い残して帰ることが多くあります。日本の現実に戻りたくないという気持ちが強いようですが、何か矛盾があります。

 

実は、この矛盾こそが戦後日本で育ってきた子供たちが、本当の「幸福」を計るバロメーター(物差し)を失ってしまった証拠なのです。「今回の海外旅行で英気を養ったので、それを大切に持って日本へ帰ります」という言葉を聞くことがよくあります。

 

何か、鎧を被って内戦中の国、または共産主義の国へ帰るような言い方です。私が若いころのソビエト連邦共和国に住んでいた人たちのようなコメントです。

 

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ソビエト連邦共和国に住んでいた人たちのようなコメント・・・ドクロ