箱入りの手土産とダバダ〜ダバダ〜 | インターナショナルスクール式・グローバルに活躍するチカラ/楽しい子育て・グローバル教育!

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息子のインターナショナルスクールでの学び、自身の仕事を通して感じた教育問題、楽しくグローバルに活躍するための子どもを育てる、インターキッズを主催しております。

 

 

こちらの件、お友達の家に遊びに行く時は、菓子折りを持って行くのが礼儀だという社会に育った子どもたち。

 

そりゃ疲れるよね、と言いながら、わたしの頭には「ダバダ〜」「ダバダ〜」ネスカフェのCMソングがリフレインしていました。

 

 


1972年

 

1982年

 

1984年

 

1986年

 

1991年

 

1997年

 

2012年、ドリカム

 

2021年、TOKIO

 

 

 

おおおー、阪神電車・神戸三宮駅2番線の発車メロディ(期間限定)粋ですね!

 

 

 

1970年にスタートしたダバダ〜ダバダ〜

 

2012年のドリカムから2021年のTOKIOまでの約10年の間は放送されていなかったそうです。

 

 

1970年代、日本が右肩上がりの高度経済成長期だった頃は「違いがわかる男の」。他よりも一歩リードした憧れられる人として、松山善三(映画監督)、中村吉右衛門(歌舞伎役者)などが登場した。
 
1980~1990年代、バブル経済が崩壊してライフスタイルや価値観が激変すると、物事の本質的な価値を重視するという意味で「上質を知る人の」に変化(バレエダンサー・熊川哲也、狂言師・和泉元彌らが登場)。
 
2000年代になると、グローバル市場経済の進展、価値観の多様化を表す「違いを楽しむ人の」と、変わってきた(俳優・松たか子、アーティスト・DREAMS COME TRUEが登場)。

そして2021年、10年ぶりの新作は「違いをつくる人の」。TOKIOを起用したのは、「自分の活動を楽しみながら、社会や周囲にポジティブな影響を与える活動をしている人として、真っ先に名前が挙がった」という理由からだ。
 
こちらから

 

 

「違いがわかる男の」→「上質を知る人の」→「違いをつくる人の」

 

改めてみてみると1982年の山本寛斎版と2012年のドリカム版は消費者に訴求しているものが違う、内面と外面、逆くらいに違うように感じます。ドリカム版は「変わらないと言われるより、今が一番いいと言われていたい」、はっきりと他者からこう思われたいと言っている。

 

「違いがわかる男の」のダバダ〜ダバダ〜をみて育った親世代(子どもが大学生や社会に出ている)は、社会から内面というメッセージを受け取って育った世代です。だからコメントにいただいたように小学生の子どもが菓子折りはてなマークうそでしょーあせるみたいな感覚がするんだと思います。

 

その後「上質を知る人の」ってあたりから訴求が外面に変化して、社会から外面というメッセージを受け取って育った世代。現在の小学生の親世代が、「上質を知る人の」のダバダ〜ダバダ〜をみて育ったとすると、お菓子が箱に入ってるかどうかの外面は差しあげる側にとっても受け取る側にとっても、どちらに取っても大切にすべきという感覚なのかもしれないです。

 

誰がどうではなくて、ある意味ではさせられたんだけど、社会が違うと言うことでしょう。

 

そしてCMが流れない10年でその違いがどんどんおかしな方に変換されていった・・・

 

怖いあせる