「それな」「当たり前」「決まってる」「常識」の一言だけ? | インターナショナルスクール式・グローバルに活躍するチカラ/楽しい子育て・グローバル教育!

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息子のインターナショナルスクールでの学び、自身の仕事を通して感じた教育問題、楽しくグローバルに活躍するための子どもを育てる、インターキッズを主催しております。

 

 

Q_れんくんは野球で遊ぶのが好きです。近所の図書館の壁が大きくてちょうどいいのでボールを当てて遊んでいました。通りかかったの人からやめなさいと言われたが、図書館はみんなのものだし、僕は野球をやりたいからと言ってやめなかった。れんくんは「自分さえがよけれはいい」と考える子ですか?その理由も詳しく説明してください。

 

 

え? ふつーに考えて、れんくんダメでしょ、図書館は静かにするところって決まってるのに、人に迷惑かけて、れんくん自分勝手でしょ、

 

 

どう思う?って、ただ聞かれたら、一般的にはこんな風に感じるようです。

 

 

学校で、ただルールを守る、言われた通りただ指示に従える人がいい人、どんなに嫌でも言われた通りにする、我慢できることがいいこととなって、我慢できないのはダメな人、となれば、

 

ダメな人には教えてあげる、正してあげる、厳しい環境だと、教えられなくても知らないといけない、社会に出たらそんなの通用しないんだから、自ら気がつくべき!

 

という教育を受けていると思う、教育が社会の当たり前になるのはそれはそうで、つまりどんどん厳しい社会になっていくのですよね。

 

 

ひとつの考え方で「それな」「当たり前」「決まってる」「常識」の一言だけで、そう思うのが正解みたいになったら、理由や違う考えを聞くこともない、

 

それが日本だと言えば日本だし、いい悪いではないけど、それだけだと視野がひとつだけで、視野が狭い、多様性ってなに?みたいになってしまう、

 

本当にそのままだと、井の中の蛙、裸の王様になってしまってることにさえ気づくことができなくなってしまうかもしれない。

 

 

一瞬立ち止まって、そうなのかな? って考えてみたり、自分の考えを否定してみたりすると違う意見が見えてくるけど、

 

「これが正解です」と教えられて、その正解を覚えると評価が高くなる環境下で、自分の考えが間違えてる、と疑うのはなかなか難しいと思います。

 

 

 

で、で、で、なのですよ、

 

違う意見を持ってる人と話すことが一番だけど、日本の環境でそれができる場所ってほとんどないんじゃないかな?

 

ディスカッションをするというクラス内でも、「どうして?」と聞くと「否定されたー」となってしまいがちです。

 

学校等で不正解を出したことがない良い子になればなるほど、ふれ腐れたり、怒ったり、泣いたり、激しく落ち込んだりしてしまいます。

 

 

で、で、で、なのですよ、A Iと対話してみるのも多様な意見を知る、一つの方法になります。

 

 

例えば、上のれんくんのことを聞いてみると、

 

まず、『絶対はない』ということを示しつつ、

 

「自分勝手な子」として捉えることはできるかもしれませんが、一概に断定するのは難しいです。

 

 

いろいろな側面がある、違う視点から考えてみませんか?とばかりに、新しい視野を提供してくれます。

 

 

1. 好きなことをすることの重要性

れんくんが野球を好きであるという情報があるため、彼が図書館の壁で遊んでいることは、彼の興味や好奇心に従っている可能性があります。好きなことをすることは、個人的な充足感や喜びをもたらす場合があります。

 

『我慢するのが当たり前、我慢できる人がいい人』という思い込みに、『好きなことをする重要性』というポイントを投げかけてくれます。

 

 

2. 遊び場の制約

れんくんが野球をする理由には、近所に適切な場所がなかった可能性が考えられます。図書館の壁が野球をするのにちょうどいい場所だったのかもしれません。この場合、れんくんは自己中心的な行動というより、遊ぶために最適な場所を探した結果かもしれません。

 

中学生からも公園でやればいいという意見が出ていたように『そういう場所がある』ことが前提になっているけど、ないかもしれないのです。日常の自分の周りしか見えていないことになってしまって、多様とは程遠く、多様性がないねと判断されてしまうかもしれないのです。

 

 

3. 社会的ルールの理解

一方で、通りかかった人がれんくんにやめるように言ったことを考慮する必要があります。図書館は一般的に静かな場所であり、他の利用者に迷惑をかけないようにするためにも、野球の遊びは適切ではない可能性があります。

 

もちろん『図書館は静かにするところ、他の利用者に迷惑をかけてはいけない』という視点もある。


 

子供たちは社会的なルールや他者とのバランスを理解するために学ぶ過程にあります。もしれんくんが他の人々の権利を尊重し、野球の遊びが他の利用者に迷惑をかけないように配慮するようになれば、彼の行動は成長と共に変化する可能性があります。

 

でもね、子どもは成長過程、今、完璧でないとダメとは言えない、とも話してくれます。

 

 

 

「それな」「当たり前」「決まってる」「常識」ではない、「違う意見」を知ることで、成長する、多様性を理解した人になれる、

 

 

人種や国籍によらないAIがいうことって、ある意味多様な考え方なんだと思います。A Iに囚われずに、上手に使えるとより多様な考えができるかもしれませんOK

 

 

 

このAIの意見を聞いた中学生はどう思ったのか?

 

つづく〜