「好き」の本質って何だと思いますか? | とある大学生による福音書 〜ニッポンのバイブル〜
「好き」の本質ってなんなんだ?
 
 
 
最近ものすごく考えている。
 
 
 
「なんで君は○○するの?したいの?」
って聞いて、
 
 
答えられないのであれば、
 
それはただ何も考えてないやつかもしれない。
 
 
 
しかし、
 
「ただ好きやから。」
 
って答えられて、
 
 
僕は固まってしまった経験がある。
 
 
 
「なんで好きなの?」
 
なんて質問してしまえばいいのだが、
 
 
 
それはまた、同じ答え、
 
「ただ好きだから、それに理由はない。」
 
 
 
と返ってくるであろう。
 
 
 
それなら「好き」というのは、
物事の本質の1つなのだろうか。
 
 
 
「好き」ってものすごく難しい。
 
 
 
 
「好き」の本質はなんだろう?
 
 
 
自分なりに考えてみよう。
 
 
 
 
まず、
 
 
 

「好き」には、

 
リスペクトの感情が含まれる。
 
 
 
「好き」とは、
 
好きの対象物の
価値観や文化、思考に飲み込まれてみて、
その視点に立ってみたい。
 
 
と思う気持ちだと僕は思う。
 
 
 
 
例えば、
 
 
最近そう思った例を挙げると、
 
 
 
 
僕はフランスに留学したい。
そこで、なぜフランスなのかと聞かれた。
 
 
 
正直、フランスで何をしたいのかなんて
明確なものはなかった。
 
 
というかそもそも、
何があるかも知らない。
 
 
 
ただただ、フランス語が好きで、
海外に住んでいる時の
あのなんとも言えない非日常感が好きなのだ。
 
 
 
いわゆる、ただ「好き」なのだ。
 
 
 
(こんなこと面接で言えば落とされるのかな)
 
 
 
その気持ちの本質を
あえて言うとすれば、
 
 
フランス人の価値観、フランスの文化
日本人にはない考え方(日本の便利な生活で潜在化してしまったもの)
 
 
を感じたい、というものだ。
 
 
 
要するに、
 
フランスをリスペクトしている。
 
 
 
そこまで意識してはいないが、
好きとはそういうことだ。
 
 
 
 
 
 
他の例でいうと、
 
 
恋愛はわかりやすい。
 
 
 
「好き」の典型的な例である。
 
 
 
なんであの子が好きなの?って
言われても、
 
 
好きなもんは好きなの!
理由なんてわかんないよ!
 
 
 
ってなるだろう。
 
 
つまりは、
 
好きになった人の中に
リスペクトする部分があったと言える。
 
 
 
そして、
同じ視点に立ってみたい、と。
 
 
一緒にいたい、と。
 
 
 
 
これこそが
「好き」の本質なのかな。
 
 
 
 
自分なりの答えが出た。
 
 
正解はないが。
 
 
 
 
これからこの答えが変わるかもしれない、
 
 
が、それも答え。
 
 
 
 
 
考えることが大事なんだ。