。起業までの道のり伍。 | 。侍.テンチョの日々の泡。

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北海道と東京を中心に飲食店を20店舗くらいやってます。

ボクラノツクルカタチデ ドコカノ ダレカガ エガオニナリマスヨウニ

関わる人たちを笑顔にするコトが僕の人生のミッションです。


雑記長文になります。


本社勤務勤務を銘じられた僕は
毎日が苦痛だった。
営業職とは違い、当然毎日がデスクワークな訳で。

当時の僕は、
パソコンなんて触れるだけ。
大学の卒業論文をパソコンで仕上げた程度のスキルしかない。

ブラインドタッチなんて出来るわけもないし
ExcelやWordと言ったソフトも使えるはずがない。
自宅にパソコンなんてなかったし
まだまだネットなんてそんなに普及して無かったような
気がするほど、パソコンには無知で無頓着だった。

当時、僕は会社でも評価が高い優秀な?先輩の後釜として
配属された訳だ。。

でも、僕はパソコンが全く使えない。

毎日毎日が苦痛だったし、
その、優秀な先輩の指導もいま思えば酷い指導方法で
僕は、毎日悩み苦しみもがいていた。。。

でも、唯一救われたのは共同生活をしていたこと。
自宅に帰ると、話を聞いてくれ、
悩みを打ち明けられる友がいた。
朝まで語り、アドバイスをもらったり
そんな一年間だった。

会社では、上司にもあの優秀な先輩までには
なれとは言わない!!!!

なんてw、デリカシーのかけらもない言葉を
日々浴びせられていた。

ただ、無力な自分が悔しかった。
よっしゃ。パソコン使えりゃいいんだろ。
毎日毎日悔しくて悔しくて、いつか見てろって
思って、Excelの勉強を独学で続けた。

その時の悔しさ。
その思い。


一年後、勿論、Excelのスキルは
先輩と肩を並べられるようになっていた。

いちねんかんw、じーーーっと
我慢し、本社勤務の無駄、非生産部署の
無駄、むら、無理。。
感じていたこと。

本社の役目。

ずっと一年間感じていたkとを
一つ一つ改善して行こうと。

僕自身、自分が出来ないのに
不平や不満を言うのが嫌いだし
そんな出来もしないのに言うのは
僕のDNAが決して許してくれない。

だから我慢していた。

ずっとずっと。

それからの僕は、実にビジネスライクに
仕事を出来たと思う。

いまも同じなんだけど、仕事に於いては、
話す相手が偉いからとか、立場とか
そんな事は関係ない。

仕事なんだから、物事が正しいか悪いか。
悪か正義かというロジックで議論しなければ
意味がない。

言いたい事は何かって???


僕は、会社で上司には正しい議論を
正しく、自分の意見をきちんと持ち
意見していった。

だって、会社にとって何が一番かって
言うと、会社が良くなる事だと思うから
そうしたいから発言するのだ。


そこには、今だから思うけど
会社に対する愛が芽生えていたんだろうと
この年になって気付いた。


世の中、全てのキーワードは


愛なんだと思う。

無条件の無償の愛。

無条件で無償の愛の尊さを。