おはようございます。芭加世です。

 

最近は初期ガンダムを観なおして作品の素晴らしさを再確認しています。

 

同時に、当時~近年に至るまで、自分がガンダム(及び当時の富野作品)から何を学び、創作活動に活かしてきたか、クリエイターとしての自分は今までどういう表現手段を用いてきたのか、を客観的に分析したいと思いました。

 

 

 

この頃の富野作品は、人間の思考・感情・意識や死というものを重圧に描いていました。

 

台詞の一言一言に深い意味を含ませ、聞き逃したら二度と理解できないような、ある意味イジワルというか無謀な表現を敢えて組み込むという『攻め』の演出を用いたわけです。

 

当時はまだVHSやベータのビデオが普及するか否かの微妙な時期であり、1980年から発売された録画デッキも十数万円しました。一家に一台というわけにはいかない高価なモノなので、録画して何度も再生して台詞を確認するなんぞ不可能に近かったのです。

 

ましてや視聴率が悪かったので再放送は期待できなかった。私が所属していたファンクラブが再放送の署名運動を行なったことがキッカケで平日の夕方の再放送が実現。

 

とにかく私は富野氏の『賭け』みたいなクリエイティヴ精神に胸を打たれたのです。

 

 

 

いつかは誰かが『突破口』を切り開かねば、時代は変わらない。

 

誰もやらないのなら(やらないんだから)自分がやる。せっかく案を思いついたのだから自分がやる。

 

新しいアイデアを思いついた者の脳裏によぎるのは大概こういった使命感です。

 

 

 

失敗して大赤字を食らうかも知れない。しかし歴史には遺せるかも知れない。そして誰かが後を継いでくれるかも知れない。

 

『~かも知れない』と言ってても、本音は『絶対そうである』。

 

 

 

・・・何が言いたいのかというと、自分自身も小学生の頃から人前では『絶対そうである』を『~かも知れない』にわざわざ言語変換して湧き上がる想いを伝え、作品を構築していたし、創った作品に絶対的な自信があっても人前では遠慮がちな態度をとっていた部分が多々あった・・・そういう記憶があるのです。つまり子供なのに大人の対応だったんですね。

 

また、そういう態度に出ないと、周囲から「なんだコイツ」「生意気なガキだな」と思われてしまう。そういう風潮もあったから、なんですね。

 

 

これは、「子供のくせに」「小学生が偉そうなこと言うな」という風に、出る杭を打つ・子供の波動を抑制させる『闇のエネルギー』が渦巻く社会だったからこその事象だと今なら解るのですが、当時はそこまで分析できなかったので、社会風潮に悩みながら生きるしか無かったのです。

 

 

 

そんな中で、自分の中で大きく覚醒したのが『反骨精神』でした。

 

私はガンダムをキッカケに『反骨精神』が拡大し、その結果どんどん創作活動の範囲を広げていきました。無茶な事も沢山したし、失敗して怒られたことも沢山ありました。理解不能と言われ離れていった友人も沢山いました。

 

 

 

その後、アニメ制作会社に入り、3社ほど渡り歩くわけですが、3社目が某人気TV番組及びその劇場版を同時進行で手掛ける会社でした。

 

私はこの時、既に音楽活動を始めていたので、単なるアルバイト感覚で働いてたのですが、今だからこそ言えますが、アニメーターが描いた動画を密かにチェックしては荒い部分に修正を施し、それをトレースマシンにかけてセルにプリントするという作業を行なっていました。

 

これも『反骨精神』。汚い絵を汚いままにしておきたくなかった。「仕事だから」と割り切りたくなかったのです。「仕事だから汚いままでいい」なんておかしい。許せなかったのです。

 

 

 

その甲斐あってか、は分かりませんが、両作品とも大ヒット。

 

作品タイトルは内緒ですが、1980年代に大ヒットした野球アニメ(原作は漫画)とだけ伝えておきましょう。主題歌はベストテン等にもランクインしました。

 

たとえ世間には内緒でも自分の参加した作品が大ヒット。

 

嬉しい体験でした。『陰徳を積む』ってやつですね。

 

 

 

その後、私は制作進行担当のオジサンに背中を押され、本格的に音楽活動をスタートさせます。

 

「君は自分の道を行ったほうがイイよ」

 

この言葉が今も脳裏に残っています。言霊(ことだま)として。

 

一生消えることは無いでしょう。

 

 

 

 

 

 

・・・書き切れなかったので💦続きはまた次回。